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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -668- カラークリエーション

カラークリエーションという名の美味しい〝海外出張〟が用意されていた時代があった。


口紅やアイシャドーの色を決めに行くのだが、海外の著名なアーティストに創色してもらえば権威付けになるという自虐的な考えが会社にあり、多くの社員がその恩恵に浴してフランスやイタリアに旅立った。いまは実務担当者が出張するようだが、昔はその日までその商品を担当していなかった色オンチの上司が選ばれて機上の人となった。いわばカラークリエーションは労務対策の一環で、若手にはなかなか順番が回ってこなかった。そんな視界不良のなか、団塊農耕派は何度かのカラークリエーション出張をゲットした。


いちばん記憶に残っているのはレシェンテという口紅の色決めに行ったマドリッドでの出来事だ。クリエーターはシビラというスペインの新進の女性アーティストで、オレンジ色にこだわっていた。「日本では美空ひばり以外にオレンジの口紅なんか欲しがらないよ」と豪語していた団塊農耕派には皮肉な巡りあわせだった。


着いて最初の仕事は小さな鍋とアルコールランプと温度計を買うことだった。ワックスや色材を溶かして混ぜるために必要なものだった。そんな7つ道具をかついで訪れた彼女のオフィスは彼女のデザインコンセプトに忠実で、膨大な布地に囲まれて薄暗く、創色作業には向いていなかったが、部屋を変えてくれとは言えなかった。


シビラが布切れを使って方向性を示し、団塊農耕派がそれに従って小鍋で口紅を煮る(作る)、という料理教室みたいな作業を繰り返し、2日かけてようやく双方が満足する色にたどり着くことができた。この色は1年後に「オランジュ・デ・キドル」でデビューするわけだが、その中心色はこんな原始的な作業から生まれていたわけで、そのことを消費者が知ったら、売り上げを落としていたかもしれない。


大きな誤算があった。満足して持ち帰った色が、なんと日本の空の下では別物に見えるのだ。通常、日本では太陽光と蛍光灯と白熱灯と3種の光源の下で創色するが、スペインではそれができなかった。唯一の光源となった太陽光も日本とスペインでは可視光の波長分布が違うようで、相談した色彩の専門家は「違って見えて当然」と冷ややかに語る。もう居直るしかなかった。不安は誰にも打ち明けなかった。日本で生産することになるこの色にきっとシビラも満足してくれるはず、と自分に言い聞かせた。


幸い問題にはならず、プロモーションも成功したが、後年、団塊農耕派はクリエーションのあり方に一石を投じた。クリエーターには来日してもらうことにした。日本で贅沢三昧されるのも困るが、現地で精度の悪いクリエーションが行われるよりはるかにマシだと思ったからだ。しかしこの指針はカラークリエーションでの出張を心待ちにしていた担当者には不評だった。勝ち逃げした意地悪な上司だと思われてしまった。


色を著名アーティストに頼るのも止めたほうがいいと思う。ハクを付けたければ名前だけ借りて実際の色は担当者が決めればいい。初代のインウイを変えてしまったのは引き継いだルタンスかもしれないと言う意見も的を射ているような気がする。

(団塊農耕派)

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