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【日本商業新聞 コラム】-747- エコヒイキ伝説(長嶋)

  • 日本商業新聞
  • 3 時間前
  • 読了時間: 3分

ジャンボ尾崎が亡くなった。その人気と業績は言うまでもないが、尾崎と同年代の野球少年、すなわち団塊農耕派は、ひねくれた見方をする。尾崎の成功は野球の挫折にあると思うのだ。



60年前、春と夏の甲子園の優勝投手がそろって西鉄ライオンズに入団したのだが、尾崎は池永に勝てなかった。そしてさっさと転身を考えた。


団塊世代はまだ努力や忍耐を美徳として教えられた世代なのだが、彼は違った。無駄な努力をしなかった。団塊農耕派は半世紀前の入社面接で履歴書の短所の欄に不覚にも書いてしまった「根気強さに欠ける」を面接官に指摘されたとき、「無駄な研究はさっさと止めて、次を考えたほうが良い」と強弁し、周囲の失笑を買ったことがあるが、このときの尾崎は同じ気持ちだったと思う。


この決断は尾崎にとって『吉』と出る。彼は努力して日本一のゴルファーになった。そしてあろうことか勝者だった池永は同時期、八百長事件の濡れ衣を着せられて球界から追放される。


5年で反転した栄光と挫折、団塊農耕派はこの二人の生き様を通して、つくづく人生とは平等に出来ているものだと思っているのだが、全く例外の人も居る。それが長嶋茂雄。彼には挫折が訪れず、日向を歩き続け、昨年全勝のままこの世を去った。



長嶋人気に火をつけたのが天覧試合。彼は天皇陛下の前でサヨナラホームランを打つが、その試合には二人の脇役が居る。一人は打たれた阪神の村山。闘魂を込め、豪快に投げ込んだボールは、実はとても打ちやすいボールだった。もう一人は同僚の王。彼はこの試合で同点ホームランを打っているが、それを誇示しない。ちなみに王はその後も長嶋を立て続けた。


野球の実績ははるかに上なのにいつも長嶋の後ろに回っていた。村山といい、王といい、神さまに指示されて長嶋の引き立て役に甘んじていたのではないかと思わせるに十分だった。



長嶋の強運さは枚挙に暇が無い。有名な高校時代の大ホームランも、それまでショートでエラーばかりしていた長嶋を気楽に守らせようと初めてサードに回したときに出た偶然のホームランで、高校通算のホームランはこれ1本だけなのである。


東京六大学で8本のホームラン記録を作ったときの幸運さはもっと神がかりだ。このシーズンは首位打者にも輝いたが、13本のヒットのうち5本をこの最終試合でまとめて打って、打率の帳尻を合わせている。記録となったホームランも最終打席で打ったものだ。本当に勝負強いのだが、相手チームの〝やられ放題〟は神がかっている。やはり神様はえこひいきしている。



また入団時の長嶋は今ならお叱りを受けるようなことをしているが、桑田や江川のように咎められることはなかった。南海ホークスへの入団を約束し、金銭的な援助までしてもらっていたにも拘わらず、気が変わり巨人入りに傾いた長嶋に対し、関係者がきつく出ることはなかったという。


立教の同僚の投手杉浦は一緒に南海球団に出向き、「自分は南海に入るので長嶋を巨人に行かせてやってください」と懇願し、去られた南海の鶴岡監督も「東京の子は東京の球団に入るのがいちばんいい」と太っ腹なところを見せたという。


高度成長期に向う日本人には長嶋伝説が必要だったのだと思う。自分の人生に長嶋を重ねて語る人が多いことがそれを証明している。団塊農耕派もその一人だ。

(団塊農耕派)

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