top of page

【日本商業新聞 コラム】-748- ニセモノ

  • 日本商業新聞
  • 1 日前
  • 読了時間: 3分

入場料50円を払って隣町の中学の木造の体育館に入ったのは60年も前のこと。ひな壇には野球帽を深く被った初老の男性がいた。少年長嶋茂雄に野球を教えたというふれこみだ。


でも根性論は熱っぽく語っても、野球の技術の話はしない。小柄で貧弱な体格、ボソボソ声、その弱弱しさはスポーツをやってきた人とは到底思えない。それでもメモ帳を片手に野球少年たちは彼を疑わない。熱心に、そしておとなしく彼の話を聞きいっていた。


終了間際、一人の少年が立ち上がって言った。「外でキャッチボールとトスバッティングのやり方を教えてくれませんか」 老人の顔が明らかに歪んだ。出てくる言葉の予想がついた。そしてその通りになった。「今日は道具の用意がない。またの機会に」


敵前逃亡であることは誰の目にも明らかだった。それでも拍手に送られて彼はひな壇を降りた。50円あればラーメンが食べられる時代、団塊農耕派の悔しさは尋常ではなかった。



このころ千葉県では長嶋を教えたという先生がたくさん居た。皆、僅かな謝礼金をせしめていたようだ。おそらくこのときの老人もそのたぐいだろうが、子どもの夢を食い物にする行為は許せないし、そんな老人を怪しみもせず、招聘した大人たちの責任も重い。


同じような話は化粧品業界にもある。テレビ「水戸黄門」で、ニセ黄門様が現れて美味しい思いをする光景がよく放映されるが、似たようなものだ。それは大手メーカーのブランドが消滅した時に、まだそのブランドに未練を持っている小売店や消費者の前に現れる。似ても似つかない商品をそのブランドの後継品だと紹介したり、以前自分はそのブランドの開発に関与していたとか、長嶋を教えたと言う自称先生たちと同じ言葉を弄する。


先生たちは長嶋の通った小学校の近くの駄菓子屋の親父かもしれないし、有名人になった長嶋との近さを自慢したかっただけかもしれない。だからこのバレやすい大嘘は笑って済ませられる話だと今なら思う。同じようにその化粧品版もその放言が100%ウソではなく、無くなったブランドに対して真に惜別の気持ちを持っているのなら許してあげてもいい。でもその小賢しさ、巧妙さには寛容になれない。



そう団塊農耕派が小学校の高学年でも見破ったように、肝心なのはお店が言い寄ってくる営業マンの真贋を見極める能力を養うことだと思う。残念だが営業マンが何と言おうが消滅したブランドと同じものは絶対に作れない。仮に前職時代にその商品に携わっていたとしても小さな会社で同じものを作ることは出来ない。同じ原料は調達できないし、製造設備も無い。容器の機能も異なる。特許も取られている。どれだけ似せられるかの勝負となるが、薬品ならジェネリックと称して同じものに辿り着けるが、化粧品の場合は別次元をさまようだけだ。死んだ子の年を数えるよりも新しい生命を宿すことに専心すべきで、もしその子にどこか似ているところを見つければ、初めて「後継商品」だと言い切ればいいと思う。



大手は類似品を作らせないための戸締りをしてから終戦している。化粧品専門店はその現実をわかった上で、後継ブランドを見つけなくてはならない。親類を装って近づく営業マンの話を話し半分で聞きながら。

(団塊農耕派)

コメント


bottom of page