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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -657- 派閥

 裏金ほしさにパーティを開き、その収益の一部を派閥所属の政治家に報告義務のない政務調査費を装ってキックバックする…、そんな容疑で自民党のいくつかの派閥が特捜の調べを受けているが、日本国民の大半は「やはり」と思うだけで、ちっとも驚かない。それほど見透かされていた悪行で、いままで発覚しなかったほうがおかしいと思っている。捜査対象になっている代議士が、「司法の取調べ中ですから…」「会計責任者に任せていましたから…」の言葉を残して逃げようとする醜態にもあきれている。



 そうなると一気に噴き出してくるのが派閥解体論だが、団塊農耕派は賛同しない。派閥は自然発生的にできるものだし、勉強会に徹すればメリットもあるし、善意の人が集まれば国民のためにもなる。問題は派閥の存在の是非ではなく、その金権的な運営方法と、そこに群がる風見鶏政治家の資質にある。政治にお金がかかるのであれば、もっとアグレッシブに収益活動にいそしんでもらって結構、だけど脱税はするな、ということだ。派閥をつくるのは勝手なのだ。



 今回の事件で感じるのは、派閥の悪辣さではなく、むしろ目立ち始めたその脆弱性だ。派閥は強固になっているどころか、磁力を失った磁石のように見える。きっと安倍さんも角栄さんもあの世で後輩の未熟さに歯ぎしりしていると思う。暴力団やオレオレ詐欺の若者より忠誠心がなく、脇の甘い代議士を揃えてしまったのだから。


 安倍一強と言われ、つい最近まで栄華を誇った安倍派も所詮は〝安倍さんと間抜けな仲間たち〟だったわけで、安全装置を付け忘れて旅立ってしまった不運を嘆いていると思う。

 カリスマ的指導者が逝った後、組織がおかしくなってしまうことがある。それまで自ら考えることなく忖度に明け暮れてきた番頭たちの跡目争いが始まり、肝心の政策論議などどうでもよくなり、派閥への向心力が失われる。


 その結果、士気が低下し、派閥の締め付けも緩くなり、メンバーの緊張感が失われる。うしろめたさを感じながら恐る恐るやっていた悪事も何の抵抗もなくやれるようになる。世間が気づき始めてもその危険性(お家の一大事)に気づかず集金パーティを重ねる鈍感力を身につけてしまう。



 派閥政治は限界を迎えたのかもしれない。ヤクザの世界でも親分に忠誠を誓う組合員が少なくなり、半グレと称する自己本位の中途半端なヤクザが増えていると言うし、企業でも人材育成を面倒がり、自己アピールの上手な社員ばかりが集まり、人材の不良在庫の山を築いている会社もある。組織に対する忠誠心を期待することなど所詮無理な時代になってしまったのかもしれない。結束の固い派閥が昔ながらの体育会系であるとすれば、昨今の企業や政治の世界に存在する派閥もどきは同好会のようなものだ。



 本音を言えば団塊農耕派は派閥が嫌いでない。問題の多いのは百も承知だが、同じ志の人間がつるむのは心地よくもある。若い頃、東映のヤクザ映画で義理と人情を貫き非道に走る健サンを何度も見たが、コトの善悪はともかく、身を挺して何かを守る気概には感動したものだ。後年、それが高じてこんな危険なコラムを書いている。

(団塊農耕派)

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