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【日本商業新聞 コラム】-738- クリームの地上戦

  • 日本商業新聞
  • 3 日前
  • 読了時間: 3分

長期凋落傾向にあったクリームの『復権』を目ざした。かつてクリームは化粧品の王者だったが、油っぽく、年寄りくさいイメージが嫌われ、いつのまにかその座を化粧水に奪われていた。復権とはまさにクリームのために用意されていた言葉。美容液なる成り上がり者におくる言葉ではない。チームのクリームへの偏愛は尋常ではなかった。20年前の話だ。



このころ成長期の仕掛けでもあったメーカー主導のプロモーションは用を成さなくなっていたが、宣伝こそ会社の遺伝子と考える社内貴族はその事実に目を背け、莫大の予算を使って〝空中戦〟を仕込んでいた。「どこかおかしい、ヒットに必要なのは商品のハード価値とそれを着実に伝える現場力ではないか」 商品が社内放蕩部門によってミスガイドされ、価値を失っていく現実を前に、開発担当部門がクーデターを起こすのは必然の流れだった。



このクリームは新製品ではなかったので宣伝予算が付かず、それが貴族たちに仕事をさせない恰好の口実となり、地上戦にお金を投入することができた。地道な「お友達大作戦」を展開した。


開発担当者は各地の販社やお店に頻繁に顔を出して商品への希望を聞き、商品が完成すれば発売前にその情報や売り方を共有した。一方宣伝や広報を放蕩部門に任せられないように、販売も本職の営業部隊に任せたくなかった。任せれば彼らの売りたいものが優先され、TV宣伝の無い商品が味わういつもの悲哀が想像された。努力の結晶とも言えるわがクリームを日陰者にされてたまるか、そんな危惧感が独自の活動の推進力となった。



地道な活動を結果は裏切らなかった。


商品に自らの意見が反映されたお店は本当に売ってくれた。でも冷静に考えればこんな活動は小さな会社では当たり前のことで、縁故や情実などあらゆるツテを頼って販路を広げていくのは基本動作なのである。ところが組織が膨らむにつれてその泥臭いマーケティングが出来なくなってしまう。小さな会社のように企画した者が営業に赴けばいいのだ。


また地上戦は効率的でもある。延べ50人が6万円の出張費を払って出掛けても総費用300万円であり、つまらない雑誌広告1誌分にしかならない。余禄もある。市場を見ることができる。お客と売り手を市場の中で観察することもできる。次の商品に生かせる。寺山修司の「書を捨て町へ出よ」と同じで、創造力も養える。



それから20年、ブランドカンパニー制となった時期もあったが、このやり方がスタンダードになることは無かった。逆に皮肉にも近年は分業制が徹底され、浪花節的な営業を嫌う社員も増えている。企業風土は社会の価値観が投影されるものだから、社風が消費者や社員の気質に影響されていくのは当然で、浪花節オジサンがいくら地上戦の良さを説き、懐かしんでも、それは時代遅れの戯れ言として一笑に付される運命にあるようだ。



ちなみに地上戦の数年後、団塊農耕派は田舎に戻った。心配なのは濃密な近所づきあいだった。


隣の商店が分厚い食パンを仕入れるが、それは我が家の老親用であり、必ず買う義務があった。プロパンガスは近所の雑穀商から5割増で買う約束があった。畳は畳屋をつぶさないために隔年で畳替えをしなくてはならなかった。


地域で生きていくのは骨の折れる話だが、その生き方は多くの化粧品店がとっくに修得していることだ。

(団塊農耕派)

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