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【日本商業新聞 コラム】-740- ハンコの復活

  • 日本商業新聞
  • 2025年12月9日
  • 読了時間: 3分

ハンコの要らない時代が一気にやって来ている。


加速度を増したのがコロナの時期。テレワークのできない理由としてハンコ決済の弊害が挙げられた。「押印してもらうために出社を余儀なくされている」と言う声が大きくなり、ハンコまで罪悪視されるようになってしまった。そして国や多くの企業の決済システムからハンコは徐々に姿を消しつつある。 



ただコロナ以前でもデジタル社会の到来とともにハンコは煩わしいもののとして捉えられていた。


たしかに決済の証拠としてのハンコはそれまでの日本社会の通念上不可欠とされており、押印する行為も上位者のプライドをくすぐるのに十分だったが、一方で業務の停滞やハンコ管理の面倒くささなど負の面もたくさん指摘されていた。


それでもハンコは日常生活の中でしたたかに生きている。鎧や蓑として貴重だと考える人は意外と多い。団塊農耕派は会社員時代、ハンコ社会で育ったが、それほどの重苦しさを感じたことはなかった。あくまでも押印は形式的なもので、多くのアクションはそんなものを待たずに進めていた。


しかしそんな無責任な仕事ができたのは、入った会社のゆるい管理体制の恩恵で、一般的な会社ではハンコによって行動が決められてしまうのかもしれない。



ハンコはいずれ消え行く運命だと思っていたが、昨今の詐欺や金融システムの脆弱さを考えると、「ちょっと待てよ」と言う気になっている。


決済に手間隙のかかる時代遅れの手法には違いないが、考えようによってはハンコほど安全なものはない。ネットバンキングは便利だが、命の次に大切なお金を扱う装置として安心かといえば首を傾げたくなるときもある。


銀行は老人の詐欺被害を防ぐためにATMでの振り込み限度額を定めたりしているが、そんなに心配なら小手先の対応では無く、いっそのこと後期高齢者にはハンコ持参の窓口対応しか受け付けないようにすればいいと思う。



団塊農耕派がハンコを守りたいと思うのには別の理由もある。


ハンコは芸術品なのだ。


シャチハタや三文判でも構わないというハンコの間違った使い方が横行したおかげでハンコは相対的にその価値を下げたが、本来は所有者の分身として丁寧に扱われるべきものなのだ。それゆえ町にはハンコ屋さんがあって腕を競っていた。


団塊農耕派の中学の同級生もその職人の一人で、修業を重ねた熟練の技を駆使して、多くの実印を作ってきた。しかしこのままデジタル化社会が進めば、ハンコ彫りの職人は要らなくなり、それは日本の伝統的な技術をまたひとつ捨て去ることになる。



ところが意外にもその芸術性は外国人が理解しているようで、外国人が日本で買うお土産のトップはなんとハンコだそうだ。日本で消え行く文化を海外では育てる人がいる…、何と皮肉なことかと思うが、いまならまだ間に合う。ハンコ文化を復活させようではないか。



ここに20代のころに書いたなつかしい口紅の研究報告書がある。一番右に団塊農耕派の印が押してあり、そこから左にGL、室長、部長、所長の順で4個の印が押されている。ところがGLのハンコが部長よりも立派なのだ。その翌年GLは工場へ異動になったが、ひょっとしたらそのせいで部長の機嫌を損ねたのかもしれない。

(団塊農耕派)

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