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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -641- ♫若き血

「美爆音」という言葉まで作っておだてるから勘違いする高校が出てしまう。


 高校野球の応援に自慢のブラスバンドを動員して、その技術の高さをアッピールしている千葉の高校があるが、野球をじっくり楽しみたい身には、ただうるさいだけで、どこか人の居ないところでやっていただきたいと思う。自分たちはコンサートのつもりで自己実現できて嬉しいだろうが、相手は昔ながらの手拍子の応援をしているのだ、少しは音を抑える配慮があってもいい。そのうるささは選手同士の掛け声も聞こえなくなるほどで、もはや反則行為と言ってもいいほどのものなのだが、高野連は規制に立ち上がらない。



 さきの夏の甲子園の決勝戦で見せたKO高校の応援もそのたぐいのものだったが、少し趣きが違う。千葉の高校はそれでも純粋に音楽に取り組んでいる姿勢が見られるが、この日のKO高校の応援席はOB,OGが主役で、甲子園に突如現れた歓迎されざる集団だった。おそらく野球の応援が目的ではなく、昔のようにKOブランドに酔い、自分がその一員であることを誇示したくて集まってきたのだろう。KOとはそういう学校である。


 企業や地域にはさまざまな単位で「三田会」と称する同窓会があって、親交を深めている。総じて上流意識が高く、ひとりでいくつもの三田会に入っている人も珍しくない。町内会は敬遠しても三田会には嬉々として参加する。なにかしら美味しいものがあるのだろう。



 団塊農耕派はちょうど50年前、この大学に入った。田舎臭さをKOブランドで消し、いや隠し、シティボーイになりたかったからだが、その野望がくじかれてからは大学とは距離を置いてきた。同窓会費を払ったことも無く、三田会に入ったことも無い。誘いも来なくなった。団塊農耕派のその後の人生でこの大学のOBを名乗るメリットは何も無かった。


 しかし卒業生の多くはそうではない。KOが大好きだ。だから離れようとしない。卒業後もOBであることに誇りを持っている。彼らは些細な繫がりでも大切にする。卒業して半世紀も経つのに早慶戦に出かけ、記念行事に寄付金を惜しまない。地域の三田会の会合ではいつも中枢にいる。そしておぞましいことに宴会の最後は必ず全員で「若き血」を合唱し、肩を組み大騒ぎする。いつもは紳士淑女なのにこの時ばかりは他の客の迷惑など眼中にない。そう甲子園で見せたあのバカ騒ぎそのものだ。


 ひょっとしたらリベラルで理知的に暮らしている日常に疲れ、たまには羽目を外してみたくなるのかもしれない。青臭く、意気盛んだったころに歌った応援歌を歌ってみたくなるのかもしれない。彼らにとってKOは青春時代の心の拠り所だったわけで、彼らに「老境に入っているのだから、内にこもり、つつましく生きたら」と言うのは酷と言うものだ。パラサイトは家主を失えば生きていけないが、彼らの母校愛、いや自己愛は墓場まで続く。


 バラエティ番組でKO高校の優勝の感想を聞かれた元議員のS村氏が「おめでとうございます。でもどこか癪に障るんだよね。ボク人間が出来ていないから」と言ったが、的を射た本音発言で、多くの人はせっかくの優勝をOB達がはしゃいで台無しにしたと思っている。母校が可愛いのならOBはもう「若き血」を封印しようではないか。

(団塊農耕派)

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