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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -617- 以心触心

 夫の引く荷車の上で妻が子どもに授乳している、これはかつてのテレビ番組「唄子啓助のおもろい夫婦」のエンディングだが、野良仕事を終えて夕焼けの中家路に就く夫婦と、田んぼ脇の草のベッドに終日寝かされていただろう乳飲み子の織り成す幸せそうな光景は団塊農耕派のまぶたに刻まれている。


 この映像の主役は間違いなく豊満な「おっぱい」で、このときの子どもの幸せを因数分解すれば、空腹が満たされた現実的な喜びと、スキンシップにより分泌される愛情ホルモン「オキシトシン」がもたらす心理的な喜びの2つに分けられると思う。


 五感があるから人間はよりいっそうの幸福感を味わえると言われている。とりわけ化粧品では『触』の貢献度が高いが、デザインや形態や色から味わえる『視』や、香りから味わえる『嗅』と比べ、『触』は裾野が広いため、体系的で深い研究がなされていない。皮膚研究や製剤研究など商品の売り上げに直接結びつく研究が高度に進む中、研究の宝庫ともいえるエステの研究がそれほど進んでいないのは残念なことである。


 「以触伝心」とはS社のロズレイというブランドが発した造語だが、S社はこのとき、最新のスキンケアの製剤技術とエステのテクニックを融合させて『触』が創りうる新価値を提供するつもりだった。


 しかしその志は簡単に崩れることになる。マスブランドにしなければ経営的魅力に乏しいと考える会社のブランドポートフォリオ分析にロズレイは食い込むことができなかった。


 いずれ化粧品専門店に逆風が吹き、そのときの大きな戦力になるであろうエステブランドの育成を軽々しく止めてしまったわけで、その見通しの甘さは責められてもいい。


 エステはいま化粧品専門店にとって、とりわけお客様と信頼関係を築くために無くてはならないものになっている。そしてそれに取り組むことが商品を正しく深く理解する手段にもなっている。そうであれば商品を提供するメーカー側は上っ面な商品情報だけを伝えるのではなく、エステ使用にどんな可能性があるかを深く研究し、詳細なメニュー、レシピを作って提供する義務がある。


 エステと言ってもその骨格が〝真に効果を引き出すための丁寧な使用法〟にあることを考えれば、メーカー側は逆にお店のエステ担当者からその商品の持つ多様性や可能性をいろいろと教えてもらい、商品の新しい側面を見せていく努力をしなくてはならない。商品周りに書く商品情報は極論すれば、新ロットを作るたびに書き換えるのが理想かもしれない。


 ところで本当のことを言うと、団塊農耕派はマッサージが苦手だ。化粧品を生業としている人間としては恥ずべきカミングアウトだが、ラオスのリンパマッサージはくすぐったいだけだし、インドのアーユルヴェーダは痛くてたまらない。おそらく硬直した骨と過剰の脂肪がオキシトシンの分泌を妨げているのだと思う。


 そんなエステ実感体験に乏しい人間がエステのうんちくをたれて、コラムを書いているのだから、神をも恐れぬ所業だと批判されても返す言葉がない。ここまで書いてきてそう思い始め、反省している。

(団塊農耕派)

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