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【日本商業新聞 コラム】-735- ふるさと納税

  • 執筆者の写真: QuaLim 株式会社
    QuaLim 株式会社
  • 9 分前
  • 読了時間: 3分

中学生のころ、山道で拾って届けた自転車が半年後に警察から持ち主不明で戻ってきて、それを近所の豆腐屋に売って、そのお金を歳末助け合いの一環として寄付したことがあるが、それ以外に寄付の記憶がない。



出身の大学から毎年寄付の要請があるがこれに応じたことは一度もない。それでも私のような偏屈な人間は少ないらしく、いつも驚くほど多額の寄付が寄せられる。


成績不良なのに卒業させてもらったとか、大学の名前でその後の人生で得をしているとか、何かしらのお礼の気持ちがあれば、寄付に応じることもわからないではないが、私にはそんな借りはなく、それどころか上品で都会的な校風になじまないと言われ続けてきたのだから、特別に払いたい思い入れは無い。


ましてや使い道が最新の機器の購入や食堂の充実など〝贅沢の上乗せ〟で、各地で頭を悩まされている古い下水管や腐りかけた鉄橋の修理とは違い、その緊急性が高いとは思えず、いつも振込用紙は問答無用でゴミ箱に直行する。



ふるさと納税も間違った方向に進んでいる。本来の趣旨が完全に忘れられ、支援したい町などどこでもよく、返礼品というおまけをもらうのが目的になっている。そしてそれに拍車をかけるように、中間搾取をたくらむ業者が乱立し、テレビ宣伝やポイント制で寄付を煽っている。いまや「ふるさと納税しないと損だ」という風潮まで生まれている。



ふるさと納税を手にしても、その中から返礼品を用意する費用と中間業者への手数料が引かれるので、実際に手にできるのは寄付金の6割程度になってしまう。それでもタナボタ式に降って来るお金はありがたく、どこも担当の課を置き獲得活動に躍起だが、その風景は美しくない。いや卑しい。あまりに刹那的で、将来、自分の町独自でどうやって住民税を増やしていくのか、その展望がまるで見えないのだ。汚い言葉で言えば居候がもっと住みやすい環境を求めるようなもので、「盗っ人猛々しい」という言葉も似合ってしまう。



一方入るべき住民税をよそに取られてしまう市や町は死活問題だ。都市部はそれほどの財政難ではなく、これまでは太っ腹で居られたが、昨今のふるさと納税ブームはボクシングのボディブローのように効き始めている。


そして自らもふるさと納税の受け皿になろうとする動きが各地で起きているが、それよりも住民にふるさと納税を思いとどまらせる活動をやったほうがいい。これまでに失ってきた住民税の半分くらいのお金を使って、地元にお金を落とした方が結局は自分の為になると思わせる企画を考えて実行したほうがいい。



悲しいかなこの制度は町と町民を分断する地雷にもなる。そもそもふるさと納税は町に対する謀反でもあるわけで、さらに住民税の流出が続けば、寄付した人が町から意地悪をされる事態も考えられる。執拗に確定申告書をチェックして微罪を見つけようとするかもしれな

い。トランプ並みの悪辣さだが、どこかの市ではすでに実践しているかもしれない。



返礼品なしのふるさと納税の仕組みにしようではないか。一気にブームは収まるかもしれないが、それでいいと思う。この制度の基本にあるものは、見返りを求めない『善意』なのだから。

(団塊農耕派)

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