top of page
  • 日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -616- 5番人気が勝つ

 高校が中山、大学が府中、団塊農耕派が競馬ファンにならない理由はなかった。ハイセイコーとともに引退したので10年のキャリアしかないが、競馬から人生を学ぶことは多かった。でもそれは今になって言い訳的に思うことで、当時は勝ち負けだけに一喜一憂していた。


 高校の同級生にH松という優等生がいた。勉強以外はまるでダメだったが、ある日突然、団塊農耕派たちを前にこう言った。「競馬は科学だよ。もっとデータを見なくちゃ」。そして彼は大胆な仮説をぶち上げた。


 「連複を買うなら1番人気と5番人気の組みあわせだけでいい。馬なんか見なくたっていい。過去10年の戦績を分析したけど、この買い方を実行していれば、全レースを1枚ずつ買ったとして、年間5万円の儲けになったはず」あきれてものが言えないとはこのことで、誰もH松の仮説には興味を示さなかったが、団塊農耕派は競馬のあった翌日にはスポーツ新聞を見て彼の仮説を検証するクセがついてしまった。


 「馬はバカじゃないよ」というのも彼の持論だった。「血統コンプレックスは尋常ではなく、氏素性の良い馬と一緒に走ると競争本能を失くしてしまう」とも言う。


 「相手が名馬の子なのか、自分と同じ駄馬の子なのか、馬は競馬新聞を見なくてもわかるし、血統に恵まれない馬は鞍上の騎手がリラックスし、必要以上にムチを使うので、自分ヘの期待度の小ささを知り、いじけてしまうんだ」と評論家より詳しかった。


 H松は自分では馬券を買わなかった。ひたすら評論家に徹した。科学的な統計手法を駆使するわけでもなく、過去の新聞の切り抜きと競走馬名鑑だけが彼のデータソースだった。


 そんな彼が珍しく買いたいと言う。昭和47年の正月のことだ。彼の判官びいきは露骨で、血統の悪い馬や、風格に乏しい軽量馬にいつも愛情を注いでいたが、新春牝馬特別に出馬したカネヒムロというみすぼらしい馬に正月のお年玉を捧げたいと言い出した。


 そして府中に出向く団塊農耕派たちに「カネヒムロが5番人気になったら一番人気の牝馬ヤマアズマとの連複を買ってくれ」と言い、馬券代200円を託した。


 競馬の世界で「のむ」と言うのは、頼まれた馬券を買わずに着服してしまうことだが、この時、団塊農耕派たちはその犯罪に走った。どうせあたりっこない馬券を頼まれた時、ずっとそうしてきたし、当たっても弁済すればよいという気楽な考えがあった。頼んだ方も配当金をもらえればいいわけで、馬券を買おうが買うまいがどちらでも良いと割り切っていた。


 カネヒムロが優勝し、H松の仮説が当たった瞬間、団塊農耕派は3万円近いお金を工面しなくてはならなくなった。一日のアルバイト代が千円足らずの頃、目の前が真っ暗になったが、皆で働いて返すしかなかった。


 しかし1か月後、H松にお金を渡しに行くと、200円だけ受け取り、あとは要らないと言い、「そのお金を使って、僕の説が正しいかどうか調べてほしい」と懇願されてしまった。そしてそれから数カ月、H松基金を使って不本意な〝5番人気買い〟を続けたが、最後はそのお金も無くなった。つまりH松理論は見事に否定された。


 その事実を彼に伝えることもなく半世紀が過ぎ、彼は物故者となったが、仮に伝えたとしても、「またのんだだろう」と言われるのがオチだ。

(団塊農耕派)

bottom of page