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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -607- コラム雑感

このコラムで何度も引き際の美学について書いた。花見客でひと稼ぎできるのに桜の咲く直前に閉館した千鳥が淵のフェアモントホテル、最盛期に引退してファンの前に二度と現われない歌手、日本一の偉業を土産に球界を去るプロ野球の監督…、惜しまれつつ、余力を残して後進に道を譲る…、いつの時代もその潔い生き方は賞賛される。とりわけ日本人はこうした生き方が好きだ。


 逆に老惨をさらしながら現役を続ける政治家やタレント、そして企業のトップがいるが、彼らにお払い箱の意識は無く、時代や組織の活性化の邪魔になっていることに気がつかない。いや気づいているのだが目と耳をふさいでいる。自分の仕事は余人に代えがたいと思うに至っては、その錯覚は犯罪級だ。


 さて13年も続いたこのコラムだが、前号をもって606回となり、3冊目の小冊子もまもなく出来上がる。これまでの団塊農耕派の主義主張からすれば、これをもってオシマイにするところだが、607号を何の躊躇もなく出してしまった。何たる節操の無さとお叱りを受けるかもしれないが、美学より渡世の義理を大切にしたくなってしまった。全粧協のネットサイト〝粧サポ〟への寄稿も始まったばかりだし、業界の悪口をもう少し書いてみたいし、化粧品の社会的な意義を紙面を通してもっと多面的に考えてみたかった。だから今回は巨人軍原名監督並みの無神経さで居座ることにした。もうしばらくのお付き合いをお願いしたい。


 半世紀前、団塊農耕派は入社試験の最終面接で会社のトップと言い争いになったことがある。緊張のせいで直前にトイレに行き、重役たちをほんの少し待たせたのだが、彼らのうちの何人かはいらだっていた。そしてあら捜しとしか思えないことを言い出す。履歴書に書いてあった性格「根気強さに欠ける」を見つけて、一人の重役が突いてきたのだ。


 「根気強さに欠けるとは、研究職にとって致命的な欠陥ではないかね!」悪意を持っているとしか思えない重役は検事のように高飛車に団塊農耕派を責め立てたが、もう絶対に受からないと判断し、戦意すら抱き始めていた団塊農耕派は「そうではないと思います。見込みの無い研究はさっさと止める、それも研究員の資質だと思います」とやり返した。不合格を覚悟したときは受験生でも強くなれるもので、このときの快感は50年も経った今でも忘れられない。


 しかし団塊農耕派は落とされなかった。筆記試験も良くなかったし、バイタリスをこの会社の商品だと言ってしまうほどいい加減な業界知識しか無かったのに、風貌も化粧品会社には似つかわしくないのに…、合格通知を前に不思議な脱力感を覚えたものだ。


 そして50年、まだ業界の片隅にくすぶっている。シモの出来事でタナボタ式に化粧品会社に入った人間が聖人居士のような顔をしてコラムを書いているが、それは神をも恐れない所業かもしれない。団塊農耕派はもっとバタ臭く、青臭く、見苦しく生きても決して独自の美学から反れないような気がする。そんな言い訳を考えつつ、再スタートをしようと思う。引き際の美学の実践はもう少し先に延ばしたい。

(団塊農耕派)

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