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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -186- すべてが間違っていた

令和4年の夏、電気が足りない。政府は大慌てで節電を呼びかけるが、一方で熱中症から身を守るためにエアコンを使えと言う。支離滅裂だ。問題は電気だけではない。国も企業もあらゆる政策が思慮不足で、後手に回る事態ばかりが続くが、日本は、そして日本人はこんなにも先見性のない民族だったのか、暗澹たる思いになる。


 医療も経済も教育も、皆大きな問題を抱え、その閉塞感は半端でない。コロナ禍では有り余るベッドと医師が使い物にならないことがわかってしまい、経済では日銀トップのかたくなな低金利政策が危険な円安を招いており、アメリカ依存の国防体制もロシアや中国の恐怖に直面して見直しが迫られている。とりわけ30年近く初任給が上っていないという事実にはもはや言葉を失う。若者がクーデターを起こさないのが不思議なくらいだ。


 暦を30年前に戻したい。平成を迎え、昭和に溜まった膿を平成で取り除くつもりではなかったのか。なのに逆にひどく化膿させてしまったわけで、平成とは日本の歴史から抹殺してしまいたい時代になってしまった。


 諸悪の根源は「良いモノを安く作り、安く売ろう」とする一見健気な心意気だと思う。ところがそこに節操のない効率化とグローバル化を目指す経営者とビジョンと哲学を持たない頭の悪い政治家と安売りだけに拍手を送る流通と国民が加わり、日本をぶざまな国にしてしまった。それまで高度な技術を開発してきた日本のメーカーは人件費の安さだけにつられて生産拠点をアジアに移し、お高く留まっているうちに、中韓や台湾に技術も利益も取られてしまった。かようにあらゆる分野で日本は成長のベクトルを間違えた。


 人権をおろそかにしていると中国を笑えない。日本企業の大半がやっている非正規社員制度はまさにそれ以上に極悪きわまりないものだ。安く作りたい、安く売りたい、そのために人件費を削りたい、できればもっと非正規社員を増やしたい、でも儲かっても給料は絶対に上げない。将来の危機に備えて内部留保に励む…、昨今の標準的な経営者の頭の構造だが、自分は億近い報酬を得ているのだから、これは由々しき人権問題といえる。


 半世紀前、団塊農耕派は初任給8万2千円で化粧品会社に入ったが、翌年には10万円の大台に乗った。それから30年以上、退職するまで給料が下がることは無かった。成果が無くても、能力に疑問符がつけられても、企業の庇護の下にぬくぬくと暮らしていけた。そんな時代だった。会社生活の終盤、会社はようやくその温情主義に気づき、増殖したパラサイトを駆逐すべく早期退職制度を導入したが、その時には団塊の世代は皆逃げ切っていた。


 今と昔、大きく違うのが経営者の姿だ。平たく言えば昔はみな風格があり、いい顔をしていた。今の経営トップのような番頭面(づら)ではなく、どこか神々しかった。共通しているのは社員に等しく優しかったことだ。団塊農耕派の会社では工場の契約社員や販売第一線の美容部員が全員正社員になったが、それは労働組合から申し入れたことではなく会社主導で行われた。将来の会社のことよりも、今の社員の幸せを考えたのだろう。株主よりも社員を大切にするトップがどこにもいた。そんな時代がなつかしい。

(団塊農耕派)

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