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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -176- ポンデロサのプトォリ

そのステーキ屋さんは『ポンデロサ』と言ってファーゴの町の北端にあり、団塊農耕派の通っていたノースダコタ州立大学から数キロの距離にあった。


薄味のTボーンステーキがウリだったが、味噌醤油に舌が麻痺した団塊農耕派がそれを完食するのは至難の業だった。とにかく大きく、そして固く、バッファローの肉ではないかという噂もあった。しかしこの店はある時から団塊農耕派には幾分柔らかめのステーキを用意してくれるようになった。それだけでない。テーブルには隣州のミネアポリスから取り寄せたという醤油まで置かれていた。無愛想なアメリカの片田舎の店だったが、お客のことは考えていてくれた。

 

頻繁にポンデロサに通う理由は別にもあった。プトォリというマレーシア人留学生の存在だ。彼女はこの店でアルバイトをしていたが、帰りが夜中になるので、団塊農耕派がポンデロサに来る日は帰りは一緒に帰りたいと言われ、その気になり、店に行くのは閉店1時間前の夜の10時と決めていた。


 プトォリは団塊農耕派にはいつもTボーンの特大サイズを持ってきた。ポテトの数も異常に多い。最初はサービスだと言っていたが、直ぐに本心がわかった。かいがいしく団塊農耕派の食べ残しを袋につめてくれたが、それが団塊農耕派に渡されることは無かった。


 質素な服装、学業への異常な意欲、彼女の置かれている環境が少しずつわかりだした。留学に至るまでの苦労話に涙を流し、別れて暮らしている親を楽にしてあげるには勉強するしかないときっぱりと言う。日本の浪花節オヤジは出来ることは何でもしてやろうという気になるが、食べ残しを多くすること以外、何もしてあげられなかった。


 いや一つだけ、偽善っぽいことをしたことがある。帰国間際にテレビと自転車を買ったのだ。日本に持ち帰れないものを買う理由はたった一つしかなかった。プレゼントといえば善意の押し売りだが、処分してくれと言うのなら、彼女も受け取りやすいと考えたのだ。


 笑えない思い出となった。アメリカの自転車は大きいので、彼女でも操作しやすいものを買っておこうと思い、休日に彼女を連れ出した。あくまで団塊農耕派用の自転車の品定めを手伝ってもらうという口実だ。しかしサドルを一番下に下げても、団塊農耕派の足はペダルに届かない。ところがためしに彼女が乗ってみるとノープロブレン! プトォリは身長のわりに脚が長かった。「これ以上小さいのは無いのだから、これを買うしかない」団塊農耕派は100点満点の買い物をした。


 賞品に目がくらみ「ポーククイーンコンテスト」なるミスコンに出たいというので州都ビスマルクまで送って行ったことがあるが、太っていることが参加の条件だと言われすごすご帰ってきたり、団塊農耕派の体型を「ショート&ファット」と言って悪びれなかったり、彼女には貧乏なわりに天真爛漫なところがあった。この二つの横文字は訳せば「豚姫様コンテスト」「ちび、デブ」と言うことになるが、彼女が日本語に精通していたとしても、何の抵抗も示さなかっただろう。あれから40年、浅黒い顔につける化粧品は贈れなかったが、プトォリはどうしているのだろう。ポンデロサは今でもあるだろうか。

(団塊農耕派)

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