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【日本商業新聞 コラム】-736- ドジャースが勝った

  • 日本商業新聞
  • 11月12日
  • 読了時間: 3分

ワールドシリーズはドジャースの勝利で終えたが、久しぶりに野球の楽しさ、醍醐味を味わった。高校生時代をピークに年々失いつつあった野球のわくわく感が蘇ってきて、団塊農耕派はしばらくこの日の感動を口うるさく語ることになると思う。



半世紀前、名馬ハイセイコーは最後のレースで敗れたが、テレビのカメラは勝ち馬に向かわず、ハイセイコーを追いかけた。そして騎手の増沢末夫が自ら歌った「さらばハイセイコー」が流れる。


涙を流して感動していたのは、その日ファンデーションの増産のために休日出勤していた団塊農耕派だけではなかった。工場の資材倉庫の中で、誰かが持ち込んだ小型テレビを見ながら、作業着の男どもはみな目を潤ませていた。時は高度成長期直前、人はみな純粋で判官びいきだった。名血でもない馬が上り詰めたサクセスストーリーには問答無用で感動したものだ。勝ち馬が何だったか覚えてもいない。



同じような光景をワールドシリーズで見ることになった。延長18回でドジャースの勝利が決まった時、カメラは喜ぶナインではなく、投球練習場に居た山本に向けられた。連投になるにも拘わらず自ら志願して登板の準備をする山本に、団塊農耕派は野球少年の心意気を感じたが、その気持ちは大和魂の持ち主だけにとどまらなかった。


チームメートは「山本に投げさせてはいけない」という気持ちで一丸となったようだ。そしてその思いが直後のサヨナラホームランにつながるわけだが、分業化されて面白くなくなった大リーグにまだこんな青臭い根性話があるかと思うと嬉しくなった。


主役はホームランを打った打者ではなく、1球も投げない山本だったことにいささかの違和感もないのだから不思議なものだ。ところでチームメートの佐々木は高校生時代、期待されながらもケガを恐れて欠場し甲子園の切符を逃したことがあったが、この山本の姿勢をどう見ただろうか。



もう一つの感動的な光景は負けたブルージェイズの主砲、ゲレーロJrの涙だ。高校球児が接戦を落とした時、大泣きすることがあるが、それと同じ心境になっていたのだと思う。勝利へのあくなきこだわりはドライな職業野球の選手でも等しく持ちあわせているということだろう。


高校球児の末席を汚しながらも、弱すぎて、感動的な敗戦など経験したことのない団塊農耕派には到底縁のない神々しいものだと思う。



ところが野球は今、面白くない方向に変化しようとしている。


根性主義が否定され、ルールが見直されている。投球数の制限、7回戦の導入、給水タイムの導入、タイブレーク…、みな健康を考えた良策だと指導者たちは自画自賛するが、そんな中から第2の大谷や山本は生まれてこないだろう。


大谷がドジャースを選んだのは「勝てるチームに入りたい一心」だったようだが、恥ずかしながら団塊農耕派は真逆だった。「弱いチームに入ってレギュラーになりたい」と本気で思った。必然的に努力も中途半端になり、ろくな選手に成れなかった。野球少年のクズとしか言いようがない。本当の野球少年とは大谷やゲレーロのような熱い気持ちを失わない人間だと思う。


そういえば試合中ベンチの最前列にいて、チームを鼓舞していたのは大谷とゲレーロだった。これが野球なのだ。

(団塊農耕派)

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