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【日本商業新聞 コラム】-734- 小役人とコンプライアンス

  • 日本商業新聞
  • 10月28日
  • 読了時間: 3分

「きたない」より「こきたない」のほうが汚く、「姑」より「小姑」のほうが意地が悪い。

「小役人」は「役人」より融通が利かない。どうやら「こ」というのは短所のランクを引き上げる接頭語のようだが、今の日本の閉塞感はこの「こ」で形容される人間の多いことに起因しているような気がする。とりわけ小役人はその筆頭格で、コンプライアンスと言う追い風に便乗して、どうでもいいルールを沢山つくって善良な市民をいじめている。



アジアの貧しい国からの輸入には「最貧国待遇」という関税免除の制度があり、当時ラオスでボランティア活動をしていた団塊農耕派には神風だったが、調べるとラオスにはそもそも輸出業者がおらず、非対象国のタイ経由で輸入せざるを得なかった。恩恵に浴する人の存在を確かめることもなく、ハコだけを丹念に作る役人の無神経さはあきれたものだ。



トラック運転手も小役人の作ったルールに翻弄されている。運転手の健康を考えたルールのはずだが肝心の運転手は喜んでいない。休めば給料は減る。休憩時間取得の義務化は嬉しいが、路上で休めば反則切符を切られる。運搬先の企業の理解もない。その日に使う資材をその日の早朝に届けることを強要し、遅れれば契約解除を散らつかせる。良かれと思って作ったルールが運転手を苛めている。これも〝木を見て森を見ない〟小役人の悪行だ。


点呼を怠ったというだけの理由で国交省は郵便局からトラックを長期間取り上げたが、「そこまでやるか」の印象は免れない。世論を味方にしたつもりだろうが、郵便事情がますます悪化し、国民にそのツケが回ってくるのは必至。バランス感覚を失っていると言わざるを得ない。同じ厚労省は日航の機長が飲酒して出発時間を遅らせても日航から航空機を取り上げなかった。つじつまの合わないことをするものだ。



コンプライアンスとは「法令順守」のことだが、小役人だけでなく、いま日本中がこの言葉に構えて、いや怯えてしまっているような気がする。これまでなら見逃してもらえた軽微な違反も許してもらえなくなり、結果として警戒するあまり、行動はこじんまりしたものになり、コミュニティは活気を失い、企業は生産性を損なっている。電車の吊り革を毎回消毒しないと気がすまない人がいるが、そのメンタリティが当たり前になる時代は寂しすぎる。




コンプライアンス違反は企業の滅亡につながる。だから企業はいつもぴりぴりしている。でもその背景に業界で、あるいは自社で作ってしまった潔癖すぎる規制がある。100点でいいところを120点の品質規準を設けるのは日本の企業の良識だが、本音を言えば20点分は過剰保証だと思っている。車のメーカーが手抜きをするのはこの部分で、そうしても問題の無いことを経験的に知っているから不正を犯してしまう。事実、コンプライアンス違反とその車の事故確率に相関性はほとんどない。敷居を高くするとろくなことがないと心の底でどこも悔やんでいる。



コンプライアンスとは煎じ詰めれば本来日本人が最も範を示せる徳の一つだが、欧米仕込みの経営者が好んで使っているせいか、どこか言葉の軽さを感じてしまう。もっと素敵な、そして守りたくなる日本語はないものだろうかと思う。(団塊農耕派)

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