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【日本商業新聞 コラム】-733- 万物資生

  • 日本商業新聞
  • 7 分前
  • 読了時間: 3分

カブトムシと鈴虫が今年はたくさんいる。クワガタも大きい。毛虫も異常にいる。それもデカイ。野鳥はわがもの顔で稲や野菜をついばむ。ウシガエルも不気味に鳴く。納屋に住みこんだ雉は出て行く気配がない。昨日歩いた土蔵の裏の小道に今朝にはクモの巣が張る。足跡はアライグマ、ハクビシン、それともキョン?我が家の野菜と果物は半分以上は彼らのものだ。それでなくとも美しさに縁遠い我が家の作物は徹底的にブサイクになる。



原始の森が昆虫の住処だと思うと大間違い。彼らのホームグランドは里山である。

昆虫採集の餌食になっても、彼らは人間と一緒に居たいのである。原始の森に追われたくないのである。


でも人間の多くは彼らを嫌った。共生を辞退した。そして過度の清潔症候群は昆虫に触れられない人間をいっぱい作った。投機の対象にする不埒者も出る始末。


昆虫の大好物の樹液を出すクヌギは材木としての商品性を失い、代わりに杉が材木の主役になったが、皮肉にも増えすぎた杉からは毎年ありがたくない季節の贈り物をもらっている。



20世紀には輝いていたプラスチックも今では嫌われ者。代わりに生分解性樹脂が脚光を浴びているが、これとて腐葉土や生ごみのようにいずれ大地を豊かにしてくれるものではない。


健康被害や地球温暖化に直面してやっと自分たちの冒して来た馬鹿さ加減を知ることになったのだが、それでも紫外線吸収剤ひとつ、化粧品会社には葬り去る勇気がない。効果効能で原料の優劣を決めてきた20世紀の価値判断をまだ引きずっている。



鳥に食べられなければ発芽しない種子がある。山茶花に棲む害虫を駆除する薬剤は無いが、蜘蛛がきれいに食べてくれる。ソラマメに付くてんとう虫はアブラムシが退治してくれるので鞘(さや)が黒くなるのは仕方がない。


そう自然界には特定の生物だけを優位にしない秩序がある。


杉がお高くとまった上流家庭の奥様ならば、クヌギは子沢山のヨイトマケの母ちゃん。クヌギの樹皮は虫が吸いやすいようになっていて、いつも見た目の悪い虫たちが寄生している。お高くとまり、孤高に徹する杉の周りには誰も集まらない。


懐かしい「里山」の風景を取り戻したいと思う。そこでは人間様が頂上にいない。狸が団子を盗んでも怒らない。刺される心配がないのならスズメバチの巣も取らない。雉に畑を荒らされても仕方ないとあきらめる。商売しているわけでもないのだから収穫量が減っても目くじらを立てることもない。苺も瓜もブルーベリーも雉の食い残したものから食べればいい。雉から旬を教わればいい。



キリスト教的発想では「中国の砂漠化が進むと黄砂が飛んできて人間様が困る。だから木を植える」となるが、仏教では「中国の砂漠化が進むと大地そのものが可哀そう。だから木を植える」と主客が転倒する。


S社の名前の由来は「万物資生」にあって、「大地の徳は何と素晴らしいものであろうか。すべてはここから始まる」という自覚を社員は持っていることになっている。


しかしその割には美しいものには興味を示すが、クヌギやミミズには目を背ける。商品コンセプトで大地成分の素晴らしさを訴えても、会社自体が万物資生の世界観に染まらなければ、肝心の商品は息づかない。

(団塊農耕派)

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