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【日本商業新聞 コラム】-721- 株価の不思議

  • 日本商業新聞
  • 7月15日
  • 読了時間: 3分

最近の株価は何を反映しているのかさっぱりわからない。アメリカの景気や金融事情に踊らされ、日本企業の株価はまさに大海に漂うササ舟のよう。どんな舵取りをすれば株価を上げられるのか、企業のトップやアナリストに聞いてもまともな返事は返ってこない。個人投資家に至っては、怖い賭場に連れて行かれた純情な素人客のようなもの。自分ではどうにもならない他人本位の世界に入ってしまったことを後悔している。



団塊農耕派のS社勤務時代、同業にK社があった。S社が派手なプロモーションなどを得意とする化粧品会社なら、K社は地味だが高い研究レベルと堅実なマーケティングを誇る会社だった。


商品開発の手法は両極端で、S社は担当者の感性の中に、K社は調査やクレーム情報の中に宝があると考えていた。K社は「消費者クレームの中にこそ商品のアイデアがある」と大がかりな社内組織を作ったのに対し、S社は「消費者に迎合してもろくな商品はできない。思うがままに斬新な商品を作れば消費者はついてくる」と反論した。



当然株価にその社風が反映される。


ある証券会社が濡れた雑巾を例に両社を比較したことがある。経営数字以外に株価を変動させる要因があるという。そしてその傾向は両社真逆だと指摘した。K社が乾いた雑巾をもっと絞る努力をみせて株価上昇につなげるのに対し、S社はびしゃびしゃのまま、まだまだ絞る余地がある所を見せたほうが良いという。今は怠惰でダメだけど、頑張ればこれからチカラを発揮するのではないか。そのポテンシャルに賭けてみる。そんな漠然とした期待が株価上昇の大きな要因にもなるという。



たしかにS社はコストを気にしないで商品づくりをしていた時代の方が元気があって、筋肉質の経営を目指すようになってから活力を失ったような気がする。


手綱の緩い頃にS社に居た団塊農耕派は怠け者が評価されるような風土に、若干のうしろめたさを感じていたが、卒業した今になると、その貴族的要素を懐かしく感じる。そしてS社が株価を回復するためのヒントはこんなところにあるのではないかと思うようになっている。



「株価」を一言で表せば「元気度」だと思う。


元気とはいろいろなものから構成される。経営数字、社内風土、将来性…、挙げればきりがない。一方で株価を下げる一番のネガティブ要素は「惰性」だと思う。新規性がなく、いつも二番煎じで流行の後乗り、コストコンシャスが最優先、そんな会社は未熟なアナリストでも見抜く。



モデルの使い方でも株価は動く。


プロモーションに明け暮れた30年前、S社には無名のモデルを使う心意気があった。モデルからブランドの息吹を感じてもらうためには、すでに人気のある人ではダメだった。そしてモデルはブランドと共に育ち、一流の俳優に成長していった。


ところが今は逆に高額なお金を払っても好印象の完成された人気タレントやスポーツ選手を使うケースが多い。ブランドとの相性などどうでもいいらしい。それでも消費者は喜び、商品もそれなりに売れるが、長続きはせず、株価に至っては終始低迷するのが常である。


その安易な姿勢をアナリストたちが見抜いているのだとしたら、株価はやはり企業姿勢の通信簿として十分な役割は果たしていることになる。

(団塊農耕派)

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