【日本商業新聞 コラム】-715- 武士の情け
- 日本商業新聞
- 2 日前
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良い研究に対して賞を授与するのはどこの会社でもやっているが、一流会社ほどその審査に公平さと透明性が求められている。中には審査委員会なるものまで作る会社もある。でもどう説明されても落ちた人は絶対に納得しない。自分の研究の方が優秀だと思い、評価の目を疑う。それが会社不信になり、退社につながることだってある。
◇
団塊農耕派の勤めていた化粧品会社にも表彰制度があった。当初は所長が勝手に決めていたが、評価に対する批判を恐れたのか、考えるのが面倒になったのか、他社の真似をしたくなったのかわからないが、審査はだんだん所長の手を離れ、社員の中から選ばれた10人ほどの評価団に委ねられるようになった。
新規性、経済性、将来性、発表態度などを細かく採点して所長に答申するのだが、そのためには専門外の分野の勉強もしなくてはならず、「そんなことに時間を割いていいのか」という声は研究室のなかで強まっていった。
Xデーが来た。間もなく管理職というころ、団塊農耕派にも名誉ある(?)評価団に入るよう内示があった。しかし迷うことなく断った。それだけにとどまらなかった。評価団の解散を提案した。若気の至り、いや生意気だったのだ。
「落ちた人のことを考えてください。公明正大な機関の判断で完敗したとなれば甘んじるしかありません。立ち直れません。でも所長個人の判断で落とされたとなれば、「ああ所長は見る目がないなぁ」とか「この分野では素人だからなぁ」と思い、気持ちを楽にすることができます。逃げ道が用意されます。自分の研究に誇りを取り戻すことができます」
実はこわごわ主張したのだが、所長は笑いながら聞いてくれた。そしてその年以降、評価団の意見は参考程度にとどめ、自分の判断を前面に出してくれた。ときに意外な裁定もあったが、実に堂々としていた。陰で文句を言う人もいなかった。
しかし40年後また評価団は復活しているようだ。コンプライアンス遵守という美名のもと、偏った判断にならないように広く意見を求めるのだそうだ。40年前の団塊農耕派の暴挙を知る人はもちろんいない。
◇
同じようなことは高校野球でも起きていた。以下は主審と敗戦投手の物語。
マウンドには一人で200球近く投げ、疲労困憊になった投手がいる。延長12回の裏、ノーアウト満塁、3ボール0ストライク、サヨナラ負けがそこまで来ていた。肩で息をする投手がストライクを取れるとは誰も思わない。
そのとき、意外なことが起こる。主審が投手にボークを宣言したのだ。サヨナラ負けが決定した瞬間だ。何という幕切れ。ボークはきわどく、普通なら見逃してもらえる軽微なものだった。ではなぜ?その答えはその後の二人の交流でわかってきた。もちろん二人はそれを口に出していないので、団塊農耕派が代弁する。
あのまま投げれば、投手はサヨナラ負けの屈辱を味わい、以後敗戦投手という重い十字架を背負って生きることになる。でも主審の拙い判定によって理不尽にも負けたのなら、責任の大半を免れることができる。主審はとっさにその道を選んだのだと思う。翌朝の新聞で主審は叩かれていたが、赤塚不二夫風に言えば「それでいいのだ」と満足していたと思う。自分が批判されても育てたい人に情けをかける。昔はそんな粋な教育者もいた。
(団塊農耕派)
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