【日本商業新聞 コラム】-713- 野焼きのススメ
- 日本商業新聞
- 5月5日
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〝後悔先に立たず〟と言うが、最近あらゆる分野でこれまでやってきたことが本当によかったのか考えてしまうことが多い。
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日本のターニングポイントが80年前の戦争にあることは間違いなく、その後勤勉な先達が一流国に仕立ててくれたのも間違いない。しかしそれは物質的な繁栄で、国民にとってそれが本当に幸せだったかどうか、今となって疑わしく思えることがいっぱいある。
享受している便利さを失ったときに支払う代償は底知れない。例えば下水。八潮市の破裂事件は悲惨だが、住民は半世紀もの間〝し尿を自分で処理しなくてよい権利〟をわずかなお金で取得していた。しかし50年しか持たなかった。これからもその権利は継続したいのだが、その確約は無い。予算と働き手に目途が立たない。広っぱで用を足し、ふろは銭湯で済ます時代も悪くないと思い直す回顧主義者が出てきてもおかしくない。
電気も同じ。日本の亜熱帯化は誰も予想できなかったようで、台風時の停電は便利慣れした国民にはきつい。オール電化は便利で経済的だと薦められて導入してみたものの、あらゆるものの起動に電気が要るように設計されており、井戸は有っても水は汲めないし、ランプは有っても灯はつかない。もしガスを残しておけばお湯くらいは沸せただろうし、ガスが無くても五右衛門風呂があれば薪で風呂を沸かせたのにと思うが、あとのまつり。電気もガスも要らない原始生活が一番リスク管理が出来ているといまさらながら思う。
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そんな中、令和7年の春、大きな山火事が続いた。原因の究明はまだなされていないが、当分周囲の目が恐くて野焼きなど出来ないだろう。今やろうものならこれまで以上に住民にヒステリックに通報されてしまう。田舎人である団塊農耕派は自宅周辺の枯葉や伐採した枝を燃やして何度も警察に叱られ、イエローカードは積み重なっている。
しかしこの行政指導には異を唱えたい。野焼き禁止令を守り、枯葉や朽ちた樹木を貯めすぎたことが大きな森林火災につながったと思う。安全を確認したうえで少しずつ燃やしていれば、そう森を綺麗にしておけば今回のような悲劇は起こらなかったはずだ。台風の時も流木が橋梁を壊す光景をよく見るが、倒木を焼いて処分しておけばこの副次的な被害も免れることができる。森を放置して、いや荒らして種々の不幸を招いているが、野焼きこそが最も有効な解決策であると言いたい。しかしこの意見は賛同されないと思う。消防や林野庁は怒り出すかもしれないし、団塊農耕派の野焼きを警戒する警察署からはレッドカードをもらうかもしれない。それでもあえて言う。「注意しながらやれば大丈夫だ」と。
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お年寄りの住む家をバリアフリーにするのは親孝行だと言う人がいるが、団塊農耕派はこれもおかしいと思う。この恩恵は家の中では安楽という視点から有効だが、筋力と注意力の衰えは確実に老化を加速する。団塊農耕派の父母の住んでいた家はバリアフリーとは全く縁がなく、父母は「よいしょ」「どっこいしょ」と言いながら段差のある家中を歩いていた。ともに100歳近くまで生きたが、足腰の鍛錬には都合の良い家だった。改築時にもバリアフリーは一切考えなかった。親孝行をしたのかもしれない。
(団塊農耕派)
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