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【日本商業新聞 コラム】-716- ホワイト企業もイヤだ

  • 日本商業新聞
  • 6月3日
  • 読了時間: 3分

昨今の6月は新入社員の辞める月。4月に「こんなはずでは…」と感じた不安は5月の連休明けに確信に変わり、気が付けば代行会社を通じて辞表を出している。



昔も5月病はあった。何人かの同期入社が会社の風土になじめず辞めていった。でもそれはごく稀で、悩んでも、せっかく入った会社を辞するにはそれなりの覚悟が要り、周囲の慰留もあり、大抵は辞表を書くまでに至らなかった。人材育成や徒弟制度が死語でなかった時代、「辛抱」は若者に課せられた試練でもあり、一つの成長過程でもあった。そしてそのうちに居所を見つけ、社畜と呼ばれる会社人間になっていった。



今の若者に〝こらえ性が無い〟と言ってしまえばそれまでだが、彼らの置かれた環境は昔と大きく異なる。会社という傘は安泰なシェルターではない。歴史を重ねた大企業も安心して身を委ねる存在ではなくなった。家族的な温かみも失われ、無能がバレたら退社を余儀なくされるのではないかという不安がいつもつきまとう。



大学生の希望職種のランキング上位から製造業が外れ、ITやサービス産業が台頭してきて久しいが、昨年のトップはコンサル企業だった。団塊農耕派の偏見脳には〝製造業が一番偉く、他人のフンドシで相撲を取るサービス業が最下位〟と刻まれているが、中でもコンサル業を虚業と見下しているので、この結果には絶句してしまう。給与、福利厚生、そして自信とやりがい…、彼らの優先順位の中にもはや会社の規模や継続性は無い。生涯の面倒を見てもらうつもりもない。大企業に魅力を感じず、流行りのコンサル業を選ぶのは当然かもしれない。企業の庇護を受けて育った団塊農耕派から見ればその姿勢は潔く、格好いい。



ところがその若者は屈折も早い。初任給は羨むほど高く、社内の風通しも良く、パワハラ・セクハラとも無縁、男女差別も残業強制も酒宴の強要もなく、育休も年休も自由に取れる…、時代の先端を走っている会社のはずだったのに見切りをつけたくなった理由とは。



若者は自由を謳歌するくせに、ときどき「叱ってくれる人が欲しい」とか矛盾したことを言う。おそらく入社して1か月も経たないうちに、優しく緩い会社風土に幻滅を感じたのではないかと思う。残業規制やコンプライアンスに敏感な上司は腫れ物に触るように接してくるし、厳しい仕事など任せてもらえず、ミスにもおおらかで、プライベートなことは一切聞かれない。ブラック企業はイヤだが、こんなぬるま湯もまたイヤ。会社の庇護を期待せず、己の成長、キャリアアップこそが唯一の生きる道と信じる若者がホワイトすぎる職場に不安を感じるようになっても不自然ではない。


そんな中、同世代の若者が「大きな仕事を任された」とか「マスコミに取材された」とかSNSで勝ち誇っている。それが事実かどうかもわからないのに取り残され感は焦りとなり、十分な転職動機になってしまう。



「ブラックでもホワイトでも所詮は本人のメンタリティ次第」老輩はそう言いたいが、ガラスの心臓のZ世代には無責任な意見でしかないだろう。どうせ理解されないのならこう言いたい。「次はブラック企業で傷ついて、免疫をつけたらいい」

(団塊農耕派)

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