top of page

【日本商業新聞 コラム】-707- サイトラ(3) 郵便ポストの赤いのも…

日本商業新聞

「空がこんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストの赤いのも、みんなわたしが悪いのよ」


これは都々逸の一節だが、この唄にもっともふさわしい人物はアメリカの前大統領のバイデンかもしれない。トランプのやりやすい下地をバイデンは用意してしまったと言わざるを得ず、バイデンの重なる失政はトランプにネチネチとつけ込まれている。


高齢による鈍さは仕方ないが、バイデンの決断力の無さにはあきれた。全てが曖昧だった。トランプよりイスラエルと距離を置いているのにユダヤ系の票ほしさにイスラエルを支持して大学生たちの支持を失ったり、ウクライナへの武器供与を躊躇してロシアに勝機を与えてしまったり、恩赦はしないと言いながら息子は例外だったり、怠け者労組の口車に乗って日本製鐵との合併に反対したり、そのばかさ加減にきりがない。


聴く耳の多すぎるリベラリストの宿命と言えばそれまでだが、ハリスではなく自分が大統領選に出ていれば勝っただろうなんて言うにいたってはもはや老いぼれ老人の戯言では済まされない。



実はトランプもメクソハナクソで、その有害性を考えればまさにこの唄の対象者になりうるのだが、本人にその自覚は無い。それどころか彼の場合はこの唄の最後の部分が変わる。


「…、みんなお前が悪いのよ」ということになるだろう。一般的にこの唄を甘んじて受入れる人には「面倒くさいからみんな自分が悪いことにしておいてもいいぜ」という男気を感じるのだが、トランプはそんな善意の人を踏み台にして悪辣な自己主張を拡散させる。旅客機が落ちてもバイデンのせいだし、犯罪が起これば真っ先に移民や有色人種を疑う。



ところでスポーツでミスをして敗戦の直接的な原因となったとき、この唄のような気持になる。チームメートに申し訳ないという気持がそうさせるのだと思う。連帯責任という古くて誤った責任の取り方もあるが、上から言われなくても日本人は進んで責任の一端を担おうとする気持がある。煎じてトランプやバイデンに飲ませたいものだ。


高校時代、野球大会で団塊農耕派は大きなエラーをしてしまったことがある。同点で迎えた最終回の裏の敵の攻撃、ランナーが1塁と3塁にいて、ヒットを打たれればサヨナラ負けとなるケース。捕手だった団塊農耕派は一塁に牽制球を投げ、それが悪投になってしまったのだ。


敗戦が決まったときのチームメートの〝まさか〟という顔が忘れられない。投手のN田も監督のH川さんも「なぜあの場面で投げたの?」という顔をして天を仰いでいるし、後片付けをしていた後輩までもが怒ったような顔をしている。


慎重なプレイでエラーして負けるのならともかく、ノーサインの突発的な愚行なのだから、チームメートの怒りは当然で、団塊農耕派は本気でチームを辞めようと思ったものだ。


そのとき気持はまさに件の唄と言ってよかった。初回に取られた点の原因となったN田の暴投も、主砲のT岡の全打席三振も、あげくはその日の弁当の不味さまで、責任は自分にあると思った。それでかまわない、許してもらえるのなら、という気持だった。



今こんな自虐的な考えをする人は少ないと思うが、アメリカの老大統領たちの余りにひどいエゴイズムに、政治家ならこんな哲学を持つべきだと思い、書いてみた。

(団塊農耕派)

Commentaires


bottom of page