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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -199- 残り火

 彼女と最初に会ったのは高校1年生のときだ。登校初日の早朝、見たことも無い女の子が駅に向かうバスを待っていた。団塊農耕派が心ならずも通うことになった高校と同じ市にある女子高の制服を着ていた。新品のかばんを見れば同じ1年生である事はわかった。


 興味のなさそうな顔はするが、毎朝出会うのでだんだん彼女の事が気になってくる。でも話しかけることなどできない。それでも彼女の正体だけはつかめた。バス停から相当離れたところにある隣村の雑貨屋の一人娘だった。その店の存在は知っていたが、入ったこともなく、学区も違っていたため、そこに同い年の子どもがいる事は知らなかった。


 初めて接点は秋の文化祭だった。男子校の生徒は市内の女子高に押し掛けるのが恒例になっていた。何の収穫もなかったが、数日後の朝、彼女から突然一通の封筒を渡された。「まさか」と喜んだが、ただのアンケート用紙だった。文化祭の感想を書いてポストに入れるだけのことだったが、団塊農耕派は勇気を奮い、翌日バス停で彼女に手渡した。「僕が行ったこと、どうしてわかったの」「茶道部の部屋で見かけました」会話らしい会話をしたのはこの時が初めてだった。でも短い会話の後は、バスは違う席、電車も違う車両…、純情だった。


 その純情が一度だけ色めいたのはその年の暮れのこと。やはりバス停でのこと。ピカソ展が京橋の近代美術館で行われているが、見に行かないかと言う。突然棚から落ちてきたぼたもち、ピカソには興味は無かったが二つ返事で応諾した。翌週、制服のまま都心に向かう二人の16歳がいた。ところがその数日後から彼女の姿が消えた。初デートはそれなり楽しかったし、嫌われた記憶もなく、2度目は必ずあると思っていた。なのに…。


 彼女は親にクルマで送られて別の最寄り駅まで通う事になったらしく、その後いつものバスで彼女と会うことはなくなった。そのうち団塊農耕派も原付バイクで通う事にしたので、2年生になるころには、彼女との接点は全くなくなった。


 そして半世紀。しかし彼女の生家は今でも同じ場所に残っていた。最近コロナのせいで遠出の散歩が日課になっていたが、道に迷う中で見覚えのある古い家を偶然見つけたのだ。でも中に入る勇気など有るわけがない。その後何度か近くを通ったが、土壁越しに庭をのぞき込むだけだった。ところが予期せぬ展開が待っていた。挙動不審な老人に見えたのだろう、庭を掃いていたこの家の人らしい老婆がこちらを見ている。笑っている。誰だろう…。


 なんと彼女本人だった。寡黙だった少女は饒舌になり、縁先であれからの事を話してくれた。短大に進み、22歳でお婿さんを迎えて、そのお婿さんを昨年亡くして…、彼女の履歴書はすんなりと出来上がった。話の途中で彼女は笑いながらこうも言った。「私は跡とりだったから嫁にはいけなかったの、長男とは交際できなかったの」それが一般論なのか自分とのことを言っているのか、わからないままだったが、それを聞く勇気もなかった。


 家に帰ってからも奇妙な高揚感に酔っていたが、妻の一撃で木っ端みじんになった。「長男云々は嫌いな男を断るための口実よ」 そうかもしれない。いやきっとそうだ。でもしばらくは〝時代に翻弄されたヒーローとヒロイン〟のつもりでいようかと思う。

(団塊農耕派)