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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -191- め組のひと

 白衣を真っ赤に染め、口紅の実験室で油と粉にまみれていたとき、近づいてきた若い女性がいた。研究員ではない。ミニスカートと日焼けした顔、研究所には似つかわしくない風貌がやたらまぶしかった。


 この人がトリーメンドーサと言って、まもなくサンフレアというブランドのテレビCMに登場するモデルだと知ったのは、彼女が帰ったあとだった。付き添っていた本社の宣伝部の人が教えてくれた。昭和57年の秋のことだ。だからいまでもコマーシャルソング『め組のひと』を聞くと、あの秋の日のことを思い出す。「め」を大きく開け、大げさに驚いてみせるメンドーサと何一つ会話を交わせなかったくせに。


 ところがその神聖な曲がいま他社に乗っ取られようとしている。この会社の目薬の新製品のCMに使われている。「め」の商品には格好の曲だと考えたのだろうが、私は腹立たしい気持ちになる。法的には問題ないのだろう。でもこの曲には私をはじめ多くの人の思い出が詰まっているのだから、まったく縁もゆかりもないこの会社には使ってほしくなかった。


 一方使われてしまったS社は怒るべきだ。自分たちの創ってきた商品や文化にもっと未練を持たなければいけない。他社の横暴に対して文句を言わないのはこの会社の美徳でもあるが、それは業界のリーダーの取る姿勢ではないことにそろそろ気づいて欲しい。業界の良識と秩序を守るべく、行儀の悪い会社には毅然とした態度で臨まなければいけない。


 しかし勝手な論理でブランドのコンセプトや体系を変え、経営視点から理不尽な商品の改廃を繰り返し、バーゲンセールのようにブランドを売りに出す昨今のS社がそのことを口にしても説得力に欠ける。他社を諫めるより先に、自らのマーケティングを見直し、クライアントやお客様の信用を回復する努力をするほうが先かもしれない。


 マーケッターが世の中の動向に敏感になるのはいいが、ときに自社の力量を軽く見ることがある。先人が苦労して開発した特許原料も国際学会でグランプリを取った乳化技術も現場と一緒に築いてきた美容法も、他人の芝生が気になる昨今のマーケッターにはお荷物に見える様で、気がつけば敵陣の低い土俵に降りて戦い、地の利なしでいつも敗走を余儀なくされている。伝承された路線を走らないことが独創性だと思っているフシもある。


 長い年月を掛けて開発した抗しわ薬剤がその卑近な例だ。P社の開発した主剤と並んでこの分野を牽引する卓越した原料なのだが、どうやらこれにも飽きたらしい。そしてあろうことか後続のたくさんの中小メーカーが好んで使っている別の主剤を使った商品を上梓してしまった。それはそれまで研究陣が見下していた原料なのに。企業としての一貫性の無さ、お客様の受け取る心証…、得することは何も無い。


 仁義を欠いた好戦的な後続会社とレガシーを大切にしない老舗会社が戦えば、〝悪貨が良貨を駆逐する〟ごとく淘汰は進むが、それでは先人とお客様に申し訳ない。同じ土俵で戦おうとする時、まずは過去の足跡の前に真摯になってほしい。そして提案しようとしている内容がお客やお店の期待に反していないか、あるいは化粧品文化や企業の遺伝子を傷つけやしないか、そんなことを熟慮する習慣をつけてほしいものだ。

(団塊農耕派)