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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -179- 下町の太陽

映画「下町の太陽」で倍賞千恵子さん(が演じる町子)が勤めるセッケン工場は墨田区曳舟にあった。ちなみにその映画の10年後、団塊農耕派はその化粧品会社に就職する。



 高度成長以前の日本は、誰もがひたむきに生きており、不条理な大人社会の中でたくましく生きる若者の姿は映画の素材になりやすかった。流行歌「ああ上野駅」の流行も女優吉永小百合の登場も時代の要請だといっても過言でない。


 だから団塊農耕派はこの映画もよくある青春ドラマのひとつだと思っていたが実はそうではなかった。童謡「里の秋」が叙情歌でなく実は反戦歌であったように、この映画には意外な社会性と奥行きがあった。



 「正社員になったら結婚しよう」と婚約者の男性は言い、年に一度の社内の昇進試験に挑むが、次点で今年も不合格。ところが合格者の一人が起こした交通事故を偶然目撃し、そのことを会社に密告して繰り上げ合格に…、といったストーリーだが、出世や幸せより大切なものがあると言う町子の無辜な生き方には今も昔も感銘を受ける。



 この映画で気になるのは、『正社員への登用試験』の存在だ。映画の中では50人が受験して3人しか受からなかった。


 非正規社員への差別はすでにこの時代にもあったことになるが、その事実とそれを自分が就職した化粧品会社がやっていたこと(映画の中の話で、S社にとっては濡れ衣だが)に少なからず怒りと恥を覚える。それでも今よりましなのは正社員への道が開けている点だ。

努力と精進が認められる血の通った仕組みが当時はあったわけで、昨今の経営者は見習うべきだ。



 ところで町子(倍賞千恵子)の持つ正義感は、その後のS社の曳舟工場に引き継がれたようである。団塊農耕派はS社において労働組合の役員を経験したことがあるが、歴代の曳舟工場支部の役員は、会社といつも対立したが、その闘争姿勢は純粋でヒューマニズムを感じるものだった。


 高度成長以後にできた他の工場支部や本社支部の役員とは一味もふた味も違った。いまや労働組合は物分かりの良いリッチな社員で占められ、ハングリーさが無いが、当時の曳舟工場には弱者視点の暖かく、そして強い心意気があった。



 さて「下町の太陽」と言うタイトルだが、決して希望に満ちた明るさを意味していない。むしろ逆で、作者の山田洋次は町工場のよどんだ空気のなかで霞んで見える太陽を意識しているように思える。真面目な婚約者が試験にこだわるのも、そんな暗く汚い町から脱出して、町子とともに郊外の団地に住みたいと言う熱い願望があったからだが、町子はだんだんその考え方にむなしさを感じてくる。寿結婚を望むよりも、くすんだ太陽が昇る生まれ育った下町でつつましく生きていく方が幸せではないかと思うようになるのである。



 工場近くの化粧品店の奥様から「S社にはオレンジの口紅が無い」と言われ、「オレンジの似合う人など滅多にいませんよ」と反論すると、「下町の太陽の下ではねオレンジの口紅が映えるんだよ。少しは勉強したら」と言われたことがある。しぶしぶ確認を約束したが、白黒映画では倍賞さんが付けている口紅の色を特定することができず、そのままにしてしまったが、ひょっとしたら下町の太陽にはそんな力があるのかもしれない。

(団塊農耕派)