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【日本商業新聞 コラム】-742- 経営改革とは

  • 日本商業新聞
  • 6 日前
  • 読了時間: 3分

マーケティングって何だろう。その領域が販売だけでなく、研究や生産、広報やCSRまで含めた企業全般に渡るとすれば、これほどわかりづらい言葉もない。



俗にいう〝マーケティングマインドにあふれた研究所や工場〟とはとても息苦しい。


目先の利益にうつつをぬかし、将来に繋がる宝の芽を摘むイメージが強い。温かい人間関係も生まれない。内作を不効率と決めつけ外注比を増やし、あるいは生産拠点をアジアに移して国内の空洞化を招く。中国の人件費が高騰して逃げ帰ってきても、人材枯渇の国内では以前のレベルに戻せない。金融や経営のプロに洗脳されて利益に目がくらんだ会社は今みな後悔している。



筋肉質な会社を目指せば、独創性は必ず内輪になる。マーケティング志向の強い商品企画マンは物分かりがいいが自分の作品に対してこだわりがない。そのうち右脳より左脳が発達し、業者や広告会社と付き合う能力は高まるが、肝心の化粧品開発能力は下がる。


昭和に繁栄を築いた日本企業の特徴は、拝金主義に染まらず、家族的な風土を持っていたことだが、それらを捨て去らなければ成長は無いと説かれて、心ならずも慣れない道に踏み込んでしまった。でもそれは成長方面に向う道ではなかったことを今になって知る。



ブランド育成が難儀になった。


〝お客が選択するのに、またお店が説明するのに困るほど多くのブランドを抱えている。資材の確保と管理に現場が汲々としている。そして何より投資の分散は企業の収益性を悪化させる〟商品より収益に興味のある管理者のこんな意見に押されて収益性の悪いブランドを捨てていく。捨てられたブランドに代替候補が用意されても、そのブランドにお客が移ることはなく、「選択と集中」は多くの場合、単なる「退散」で終わる。その過程で社員にお金を使わない〝美徳〟が醸成され、彼らの血や肉になる。70点のものしかできないのはコストのせいだという言い訳は皮肉にも会社が用意してあげたことになり、結果人材も伸びない。


そんな繰り返しがこれまでの「集中と選択」の顛末だったのではないかと思う。そしてそれは明らかに元気だったころの会社の姿とは違うので、競合他社や小売りに見破られ、この会社からはもはや良い商品が生まれないと決めつけられる。ブランドを潰す行為を乱発すればこんな会社の末路が待っている。


 

ブランドの存在意義は小粒でも必ずある。どれもお客様のニーズや小売りの要請に、そして技術革新にきちんと応えていた。さらに共存共栄に徹した時代は、販売チャネル別の商品配置がメーカーと小売店の絆を深めていた。予算がないとぶつぶつ言うくせに、無ければ無いなりの工夫をする社員はたくさん居た。

 

ところが近年、社員が変わった。冒険をしなくなった。リスクを取らなくなった。安全な道ばかりを選び、感性に忠実で無くなった。商品なんてそもそも破天荒で独断的なほうがいいのに、一部の批判を恐れて美しいがトゲのない商品ばかりを作り始めた。営業も上品になり過ぎた。本社の意向がすべてだと思いこむ社員が多く、無駄足を嫌い、知恵もお金も封印した。お公家様がついでに営業しているよう。


今の売り上げ不振は自業自得、経営改革を叫ぶより、商品に愛情を吹き込む無骨な精神を取り戻すことが先決。

(団塊農耕派)

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