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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -658- 蹴られた脚の痛み

 日本人は礼儀正しく、誰にも親切で、自己中心ではなく…、外国人から褒められてその気になっているが、本当にそうか疑わしくなってきた。



令和5年に起きたさまざまな事件はそれを物語っている。性加害の限りをつくしてオサラバしたジャニーさん、成金の象徴のようなあこぎなビッグモーターのトップ、派閥ぐるみで違法な裏金集めに奔走した安倍派の代議士たち、逃亡先のフィリピンで捕まったオレオレ詐欺の首謀者やウソとハッタリのガーシー元議員、いずれも穴があったら埋めてしまいたいほどのみっともない事件だ。「日本人の風上にも置けない人種の氾濫」と言うことになる。



 犯罪にならなくても似たような人物はたくさんいる。令和で怖いもの、それは「初老のジジイと若い女」だが、ともにキレやすい。時代の閉塞感がそうさせるのか、ダイバーシティを誤解しているのか、ときどき分別オヤジ(団塊農耕派)は看過できない光景に遭遇する。



 立場の弱い人を執拗に叱りつけるジジイはめずらしくないが、先日団塊農耕派は山手線の車中で若い女性に思い切り脚を蹴られた。降り口に立ったままスマホに興じる彼女にバッグが触れただけなのに、突然の暴力。しかも蹴った後も表情を変えず、言葉も発しない。報復したい衝動に駆られたが、大騒ぎされたときの面倒くささを咄嗟に考え、睨みつけるだけの抵抗で我慢してしまった。



 しかしその矛の収め方は今思えば間違いだったと思う。痛い目に遭わせなかったことで、彼女は気に入らないことに遭えば、また同じことをするかもしれない。そのうち犯罪につながってしまうかもしれない。そうだとすればやはり周囲の目を恐れずに電車から引きずり降ろして〝善良なキレるジジイ〟になるべきだった。



 低成長とデフレの20年で日本は経済の成長だけでは無く、国民固有のメンタリティ、すなわち美徳まで失ってしまったようだ。一部はグローバルやデジタル化と背反するものとして、そしてまた一部は古臭い倫理観が時代にそぐわないものと思われて、脳の回路から外されてしまった。とりわけ失った回路のなかでも最も致命的なのが「思いやり」を司る部分だ。自分さえよければというガン細胞が回路に増殖し、それが昨今の日本人の行動に現れている。



 たしかに派閥の裏金集めは良くないことだが、元を正せば善良無垢のはずの市民の邪悪な欲求に起因していると言えないことも無い。「盆踊りに来てくれない」「葬式に来なかった」と市民が文句を言うから政治家はそれに使うための裏金が欲しくなるわけで、市民が私欲を出さなければ代議士も清廉で居られたはずなのである。この程度の政治家にこの程度の国民、と言われても仕方がない。



 日頃のさりげない行動が世の中を悪くしている例もある。地球環境を憂う人格者が、一方ではスーパーの牛乳のコーナーで、賞味期限の新しいものを探し出して、廃棄の量を増やしている。ひどい事件の発生に腹を立てる前に、自分も何らかの形で共犯者になっているのではないかと考えてみることも大切だと思う。

(団塊農耕派)

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