【日本商業新聞 コラム】-776- 奨学金
団塊農耕派が大学生のころは、奨学金とは青田刈りをもくろむ企業が出してくれるものだった。
同級生の中には数社から奨学金をもらっているつわものも居て、ときどき貯まったお金を見せびらかしていた。返済義務の無い、いわゆるヒモつきの奨学金が大部分で、昨今の若者のように就職後の返済に苦しむことも無かった。
就職について何も考えていなかった団塊農耕派は奨学金とは全く縁が無かったが、手を伸ばせば届く範囲にあったことを思えば、もらっておけばすこしは親孝行できたのにと半世紀後に思う。
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ただ無条件でもらえるわけでもなかった。
面接を受けたり、教授の推薦が必要だったり、毎月のレポートの提出が義務だったり、それなりの関門はあったようだ。また入社を断れば返却を求める会社もあったが、それほどしつこく請求してこないので、多くは踏み倒すことが出来た。今の大学生には信じられないかもしれないが、学生が格段に優位な立場にいた時代が確かにあった。
それから半世紀、大学進学率が倍になり、学生の数が増え、奨学金事情も様変わりしている。太っ腹だった企業もひも付きの奨学金制度を廃止している。従って今は公的な育成会や
民間の学生ローンがその受け皿となっている。
しかし育成会も採算を重要視するようになり、かつてのように学生ファーストではなく、コースによっては数%の利子を取るようになっている。間隙を縫って学生ローンが登場してくるのだが、その評判は思わしくない。学習意欲が無くとも、頭は悪くても、素行に問題があっても、審査で落とされることもなく、洋服や電化製品を買うがごとく気軽に借りることが出来る。
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だから落とし穴にはまる。借りる学生は大学を卒業すれば就職条件が良くなり入社後に簡単に返せると甘く考えがち。そして4年間を無為に過ごす。
社会に放り投げられ、返済と言う過酷な試練に直面するが後の祭り。アリではなくキリギリスを選んでしまったツケの大きさにおののく。
18歳の若者に大学を諦めるという選択を求めるのは酷だが、少なくても金銭的余裕と向学心の無いモラトリアム症候群の若者が安易に奨学金にすがって進学しようとする時、周囲は鬼になってその短絡的な判断を覆すべきだろう。
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昔の若者にはその分別、いや自制心があった。志を抑える非情な自制心だが、それは有能な若者の場合、向学心を失わせるものではなかった。
学習の場を大学でなく、就職先に求めた。団塊農耕派の勤めた化粧品会社には中高卒の社員が多くいたが、みな優秀で、プロフェショナルだった。〝勝てない〟と思わせる人が少なからずいた。
大学に進まなかったのは成績が足りなかったのではなく、家に経済的な余裕がなかったからで、時代があと30年遅ければ、向学心が旺盛だった彼等は奨学金を得て大学で学んでいただろうことは想像に難くない。そして返済も何の苦も無く出来ていたと思う。
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肝心なのは向学心で、それをアシストするのが奨学金であることは今も昔もかわらない。政治の目が若者に向けられつつあり、奨学金の返済猶予も考えられているようだが、向学心のない若者への配慮は税金の無駄遣いということになる。
(団塊農耕派)



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