【日本商業新聞 コラム】-763- 社名
- 日本商業新聞
- 2 日前
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「太陽神戸三井住友銀行」や「京成国鉄千葉駅前駅」には驚かされたものだが、ネーミングセンスに乏しく関係者に忖度する小役人が考えれば当然こうなるのかもしれない。
その後も「西東京市」「西新宿」「南アルプス市」「南房総市」「沖縄市」など無機質な都市名が生まれているが、そこに住む住民は反対しなかったのだろうか。田無や角筈や千倉、そしてコザという由緒ある名前を捨ててしまうことに後ろめたさを感じなかったのだろうか。
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企業名も同じ。慣れ親しんだ名前を惜しげもなく葬る会社が珍しくない。「パナソニック」がそのハシリだが、昭和の名残を感じる電球や家電には「松下電器」や「ナショナル」のままでよかったのではと思う。
故障続きの「早川電気」が「シャープ」を名乗るようになって技術力が磨かれたり、マイナーな音響メーカーだった「トリオ」が「ケンウッド」になってからおしゃれな会社に変貌したり、改名によって一皮むけるケースもあるが、既に成熟した企業が好んで取る戦略ではないような気がする。
蚊取り線香のキンチョウが「大日本除虫菊」の会社名を捨てずにいたり、「角八魚鱗箔」がもはや魚の鱗を商売の具にしていないのにその名前にこだわったり、一見時代遅れに見えるが、その姿勢に固陋という批判は当てはまらず、むしろ心意気すら感じる。
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「資生堂」が輝きを失いつつあるのは日本語標記を軽んじ、英文字「SHISEIDO」に拘ったからだと言う評論家の意見には一理がある。
そんな中「ウミオス」という会社名が登場した。以前の合併時に大洋漁業から「まるは」を、日魯漁業から「にちろ」をいただいて「マルハニチロ」にしたお固い会社にしては大胆な改名だが、説明してもらわなくてはわからないような造語には違和感がある。海に現れた怪獣のような印象を持つのは団塊農耕派だけだろうか。
同じことは「アストラム」に改名した「ペンテル」にも言える。「塩野義」が「アステラス」になったときのような喪失感を感じる。「ペンテル」がどれだけ日本の国民に親しまれてきたか、ペンテルの親会社になった外資系の人たちは知っているのだろうか。
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過ちを認めて元に戻したケースもある。「東京都立大学」だ。しばらく「首都大学東京」を名乗っていたが、偏差値の低い新興の駅弁大学だと思われるのがいやで元に戻したようだ。その朝令暮改さにあきれる。
同じ発想で由緒ある「東京水産大学」や「東京商船大学」も改名されてしまったようだが、今のセンスのない名前は心に残りそうにない。
高校も同じである。高校名リストを見ると首都圏の高校は普通科ばかりで、職業高校は数えるほどしかない。水産高校や農業高校は壊滅状態、商業高校や工業高校も圧倒的に少ない。
ところが校名を変えても授業内容はそのままだと言う。それでは何を期待して、あるいは何を嫌って変えたのだろうか。なぜ卒業生が故郷を失うような陳腐な名前にしてしまったのだろう。職業を明快にすると昨今の中学生が嫌がると思ったのだろうか。教育委員会がそんな偏見を持っているのなら悲しいとしか言いようがない。
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団塊農耕派が高校生の頃、「安房水産高校」「茂原農業」「君津農林」などがあったが、いずれも個性的な校風を誇っており、進学しか能の無い自分の高校の無個性ぶりに引け目を感じたものだった。
(団塊農耕派)



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