〝いただきりりちゃん〟に懲役9年の厳しい実刑判決がくだった。たしかに悪質な詐欺には違いないが、彼女の未熟で危うげな生き様を垣間みると、もう少し寛大なはからいがあっても良かったのではないかと思う。
彼女の口調の節々に利発さを感じるが、戦略ではなく、むしろ流され続けており、ある意味で哀れみを感じる。ホストに貢ぐことが生きがいになり、そういう自分をいとおしく感じ、金銭感覚と倫理観が麻痺する…、許されることではないが、その生き方になぜか不思議な新鮮さを感じてしまう。
掠め取ったお金を自分のために使っていない。その一点だけでも同情に値する。巻き上げたホストのほうが明らかに悪人だし、りりちゃんに貢いだ男たちも被害者面は似合わない。無理に捻出したお金でもなさそうだし、本気でりりちゃんを好きになってしまったわけだし、泣き寝入りすればいいと思う。いやスケベ同士で連絡を取り合って、りりちゃんの減刑嘆願書でも書いたらいい。
ここまで書くと団塊農耕派の倫理観が疑われるが、なぜか一般的な詐欺事件とはちがう深みを感じている。世の中のすべてのことに挫折した少女が、善悪の区別無しで、生きがいを見つけ、その達成のために自分の持つすべての才能を駆使する、しかもそこにユーモアとペーソスが混在する…、りりちゃんに宮沢賢治や寺山修司に通じるものを感じてしまう。9年も牢獄につながれ、その才能が封印されるのはもったいない。
被害者の声も聞いてみたい。ひょっとしたら騙されていると知りながら逢瀬を楽しんでいたのではないか。男どもは彼女の奇想天外な憐れみ話に、「白馬の王子」を気取っていたのではないか。これまでの人生で一度も味わったことも無い幸福感を感じていたのではないか。そうであれば俗な表現だが「授業料を払ったつもり」で彼女を許してあげてほしい。
団塊農耕派も寸借詐欺に遭ったことがある。S社の研究所に勤めていたころの帰りの地下鉄日比谷線でのこと。六本木から乗ってきて隣に座ったきれいな女性に「財布を忘れてバス代が払えないから貸してほしい」と懇願され直ぐにOKしたものの、その金額が5千円と聞き、騙されつつあると思いながらも後に引けなくなり貸してしまったことがある。「明日直接会ってお返ししたい」と言われ、1%の可能性にかけて、大切な実験も先延ばしにし、いそいそと出かけた団塊農耕派に待っていた事実は予想通りのものだった。5千円とは微妙な金額だった。1万円なら断ったし、千円なら戻してくれなくてもいいと言ったと思う。要するに騙されたわけだが、戻してもらったらその5千円でお茶に誘おうと空想していた24時間は至福の時間でもあった。後年「競馬で5千円をするよりはるかに良かった」と言い訳しているが誰も賛同してくれない。
ところでりりちゃんが化粧品を開発する女性なら独創的な商品を作ると思う。彼女の抱く「美」や「幸福」のカタチを商品に反映したらどういうものになるか、興味はある。しかしまもなくりりちゃんは塀の中に落ちる。9年後、棘も毒も無いりりちゃんになって出てくるとしたら、法律とは、裁判とは、罪作りなものだと言わざるを得ない。
(団塊農耕派)
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