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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -663- アメリカナイズの限界

昨年末、大谷クンのドジャーズへの移籍が決まったが、その報酬の高さは狂気の沙汰だ。


昭和のスーパースター長嶋茂雄が3千万円に達した時、子供心にも驚き、ため息をついたものだが、いまは日本球界でも中途半端な選手が数億ももらう時代になっており、大谷クンの実力と期待度を考えれば当然な成り行きなのかもしれない。でもどこかおかしいと感じる。


勝手に懐具合を考えれば、長嶋の時代は、主役の謙虚さにつけこみ、球団が利益をむさぼっていた時代だった。要するに球団の儲けと長嶋の年俸が比例しない仕組みだが、それは双方が納得済みで、いわば日本企業全般の常識としてその後も引き継がれている。ただそれに悪乗りして、内部留保しか思いつかないシブチン社長の多いのも困りものだが。


対してメジャーリーグは真逆だ。収入の根源となる選手には投資をいとわない気風がある。企業(球団)の継続性にそれほど興味がなく、一攫千金を狙えればそれでいいという考えだ。大谷で稼げるのなら、彼に収益の半分を与えてもよいと考える。


清貧を尊び、お金儲けを下品と考える日本人にはなかなか受け入れ難い発想だが、このアメリカ流の経営手法は、いま色濃く日本企業にも入り込んでいる。2万人もの社員が首を切られ、ゴーンにさんざんむしりとられても、日産は復活したと賞賛する人は意外に多く、やたら外国人を抜擢して根なし草になってしまった美容メーカーも、グローバルとはそんなものだと大目に見てくれる。経営者の基本体温は〝アメリカかぶれ〟のようだ。


でもそんなことの繰り返しが日本の成長を止めている。決めつけて言えば〝アメリカくずれ〟が皮肉にも日本の成長を止めてしまった。ジョブ型の採用が一般化し、年功序列が蔑視され、職場に家族性が無くなり、人材は育てるものでは無く、完成品を探してくるものになり、要領のいい、売り込み上手な奴が生き残る社会が出来上がってしまった。


そして昔気質の日本の企業は、その良き遺伝子を惜しげもなく葬り、拝金主義の薄っぺらな企業に成り下がり、あげく韓国や台湾に笑われるほどにまでおちぶれていった。


今年の正月、都心のカプセルホテルは、普段は5千円もしないのに1泊2万円もした。需要があれば高くするのは当たり前という考え方が普及したのだろう。


オーバーツーリズムの昨今、ホテルの料金は軒並み上がっており、出張を躊躇する企業は少なくない。歌舞伎町のホスト料金ほどのボッタクリではないが、足元を見た商法に商道徳の劣化を感じる。孫可愛さの心情につけこみ、祖父母に高額のランドセルを売り込むやりかたと同じだ。


以下は団塊農耕派の偏見。「神様は日本人を謙虚に作った。利他主義という徳まで付けた。良質な島国根性を植え付け、他国語を受けつけない脳構造にした。だからいくら勉強しても英語が上手くならない。江戸時代、鎖国でも文化が生まれ、市民が幸せだったのはその遺伝子に逆らわなかったから。」攘夷論者ではないが「平成以降の日本の迷走の原因は日本的なものを必要以上に排除し、アメリカ的なものを見境なしに導入したところにある。」


高度成長を支えたのは日本人の勤勉さとその裏付けとなる文化だったはず、日本復活のキーワードは『温故知新』であり、これ以上のアメリカナイズは害になる。

(団塊農耕派)

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