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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -634- 鋳掛屋さんと化粧品屋さん

 昔は鋳掛屋(いかけや)という職業があって、村々を歩き、鍋や釜などの日常品や鍬や鎌などの農機具を修理していた。


 鍋などは一生モノで、捨てたりはしなかった。夜逃げするときにも鍋を持っていく人は少なくなかったという。鍋や釜は修理を重ねるほどに丈夫になるものだと団塊農耕派は祖父から教えられたこともある。鋳掛屋はいわば『出張修理人』みたいなもので、団塊農耕派の家の土蔵の軒下で、鋳掛屋が無心に仕事をし、祖母がお茶を持っていく光景を何度も見たことがある。


 それから半世紀、消費は美徳という誤った考えが蔓延して、修理して使う人は少なくなり、新しいものを買うのが当たり前になってしまった。北米ノースダコタの若者は今でも中古のクルマを安く買って自分で修理しながら乗るが、日本の若者は新車を買いたがる。だから壊れても直せないだけでなく、タイヤの交換すらできなくなっている。



 ところが〝サスティナブル〟という発想が浸透するに従って、〝もったいない〟が美徳として復活し、この風潮はその潮目を変えられようとしている。しかし大きな障壁が存在する。古くなっても、壊れがちになっても修理して使いたいと考える人はたくさんいるのに、それができない社会構造が現実にある。


 電化製品がそうだ。修理を依頼すると決まったような返事が返ってくる。「もう寿命がちかい」「直したくても部品が無い」「買い換えたほうが長い目で見ればお得」 修理をあきらめさせ、新品を買わせる話法が既に出来上がっているようだ。鋳掛屋さんのようなモノにたいするこだわりが無く、ひたすら営利を目指すのが昨今の電化製品の会社のようだ。


 さらに腹の立つのは修理もしないのに出張代が請求されることだ。たいして見もせずに前述の言葉を吐き、買い替え奨める…、それだけでお金を取るのだから、歌舞伎町のぼったくりバーと大して変わらない。



 自分の納めた商品が故障したのだから、保証期間云々ではなく、何とか直してあげたいと思うのが生産者側の誠意だと思うのだが、そんな人にお目にかかったことが無い。いま団塊農耕派の家のエアコンも給湯器も洗濯機も床暖も同じ境遇にさらされているが、電化製品の寿命が10年だとあっさりと言われると、いっそのこと便利な電化生活からおさらばして、日本昔話の爺さん婆さんのような原始的な暮らしの方が幸せなのではと考えてしまう。五右衛門風呂もプロパンガスも捨てるんじゃなかったと反省している。



 化粧品メーカーには鋳掛屋の生き方を学んでほしい。一つの商品に改良を重ねて数十年にわたって愛された化粧品がいくつあるだろう。ドルックスもMG5も生きながらえてはいるが、改良の足跡はなく、新しい技術や知見は別の新製品に行かされている。


 どうしてドルックスを時代に合わせて改良し、分相応な価格に変更することが出来なかったのだろう。化粧品だからいつも新鮮な話題が欲しかったのだろうが、一方で一つの商品を長く使いたい人も居るのだから、自己本位な廃品化を繰り返すべきではなかった。現役時代、新製品の開発にうつつを抜かした団塊農耕派が今頃になってそう思う。

(団塊農耕派)

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