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【日本商業新聞 コラム】-703- 塾や予備校

日本商業新聞

コロナが収束してもその後遺症的な影響で廃業に追い込まれる業種は少なくない。



塾や予備校も例外ではない。オンライン授業でも十分に勉強ができることがわかれば、高い授業料を払ってまで予備校に行く必要は無いと考えるのは道理で、ニチガクという老舗の予備校が経営に行き詰まり、倒産の憂き目にあっている。



塾や予備校に通ったことのない団塊農耕派はその存在のありがたさを知らない。それどころか高石ともやの「受験生ブルース」にあるように、予備校とは学力不足で大学に落ちた若者が送り込まれる刑務所みたいな所だと思っている。しかし進学率が高まり大学が遊園地化すると予備校の暗いイメージは払拭され、予備校通いを恥ずかしいと思う若者が少なくなった。中には予備校生なのに恋までして青春を謳歌する不埒な若者もいる。



予備校の質も変わった。昔の予備校は高校の授業を再度受け直すようなもので、あくまで本人のやる気が求められたが、今は勉強の仕方や受験テクニックなど側面的な指導が行き届いている。そしてその能力の有る教師を多く抱える所ほど高い評価を受けている。高校の授業が不安で早くから予備校の有能な教師に指導を仰ごうとする学生も少なくない。



ところがこれだけ学生に頼りにされているというのに、予備校や塾の経営は青息吐息だという。2024問題のような深刻な人材不足は予備校も一緒で、経営難の大きな要因になっている。有能な教師を集めて生徒を増やしたい予備校の思惑は見事に外れている。人件費の高騰は半端で無く、花形教師のつもりで雇った教師もそれほどではなく受験生の顰蹙を買っているという。期待通りの成果が上がらなければ、すなわち有名大学への合格者が減れば、生徒から見放されるのは当然で、予備校は淘汰の時代に入っているようだ。



極論だがそもそも予備校や塾は要らないと思う。肝心なのは本人の基礎学力と学習意欲で、その力だけが評価されて合否を決めればいいと思う。金持ちの息子が塾や予備校で受験のテクニックを授けられて合格するというのは平等ではない。東大合格者の大半は裕福な家の子供だと言うが、それは教育機会の平等という視点からも好ましいことではない。



団塊農耕派は大学時代一度だけ家庭教師をやったことがある。相手のS君はKO大学の付属高校の2年生で、卒業後にこの大学で一番偏差値の高い経済学部への進学を希望していたが、成績が上がらなければ商学部や文学部へ行かなくてはならなくなるという懸念を持っていた。高校の数学や物理は難しく、教えることに不安はあったが、夕食付と言う特典に負けて長期のアルバイトを引き受けてしまった。



その日の為に予習が必要だった。微分積分も熱力学の法則も勉強し直さなくてはならなかった。約束の2時間は教師と生徒の関係ではなく共に考える時間だったが、このやり方が功を奏した。頼りない教師を救うために、あるいは茶化すためにS君は自発的に勉強をし始めた。そして3年生の終わりごろに念願の学部への入学を決めた。S君が評判の高い塾へ通っていたらと言う仮の質問に答えは出せないが、塾も予備校も所詮は動機付けのアシスト機関で、肝心なのは本人の向学心であるという結論に揺るぎは無い。

(団塊農耕派)

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