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【日本商業新聞 コラム】-700- 佐々木と池永

日本商業新聞

大谷の活躍は嬉しい限りだが、ワールドシリーズでの肩をかばって走塁する姿は痛々しかった。



そういえば以前もこんな光景を見たことがあった。半世紀前の高校野球の決勝戦だ。


団塊農耕派は当時高校1年生。補欠とレギュラーを行ったり来たりしていたが、生意気にも甲子園に出る夢は持っていた。その甲子園のマウンドには当時の野球少年の憧れの的だった池永正明の姿があった。しかし彼は左肩を固定して右手だけで投げていた。大谷と同じように前の試合で左肩を脱臼していたのだが、当時の野球少年の辞書には〝休む〟という文字はなかった。その姿に日本中が驚かされたが、彼の率いる下関商業は準優勝に輝いた。優勝チームがどこだか忘れたが、彼と下関商業のことは今でもよく憶えている。



その池永はすべてが完成されていた投手で、18歳でプロ入りして5年間で99勝し、稲尾のあとの西鉄ライオンズのエースとして君臨していた。同期入団でライバルだった尾崎将司がとても勝てないと思いゴルフに逃亡(転身)した話は伝説的でもある。しかしその後、八百長事件に巻き込まれ、永久追放の憂き目にあったことをプロ野球ファンなら誰もが知っている。弁解しても分かってもらえず、心ならずも野球と縁を切った池永のことを思うと、同世代、同じ野球少年として今でも悔しく思う。


池永は漁師の息子だったが、舟をこぎ、海で小石を投げているうちに投手として必要な体力が付いてきたと言う。これは稲尾と同じで、不遇な生活環境が決してそれからの人生でマイナスにならなかったことを証明している。しかしそれはその人が後年順調な人生を歩んだときに送られる賛辞で、池永は周囲の無理解さゆえに稲尾のような立志伝的な人物にはなれなかった。それでも団塊農耕派の憧れ心は亡くなった今でも薄まらない。



佐々木朗希と言う凄い投手がいる。池永より投手としての素質は数段上だと思われるが、池永肯定派としては佐々木の生き様が歯がゆくてならない。世の中が佐々木を中心に回っていて、本人もそれを当然のように受け入れているフシがある。高校時代には甲子園出場の夢よりも彼の将来を優先して地区予選の決勝戦を休ませた監督がいたし、プロに入ってからも徹底した温室栽培で、チームとしての損得を度外視してひたすら彼の成長を待った監督がいた。そして決定的なのは今回の大リーガーへの挑戦だ。日本球界に僅かしか足跡を残さないまま次のステージに向うと言うのだ。大谷のように夢を貫くのはいいが、日本球界での道半ば感は否めず、凡人のやっかみ感は当然といえる。たぐい稀な素質があれば特別待遇が許される…、実力の社会はそれでもいいのかもしれないが、実力があってもその道を不条理に閉ざされてしまった池永のことを考えると、偏屈だが、佐々木を素直な気持ちで送ってあげる気にはなれない。ヤンキース入りした松井のひと言は日本のファンへの「ごめんなさい」だったが、佐々木にその気持ちがあればすこしは救われる。



大谷もその大望は批判されたが、結果を残せばそれは賛辞に代わる。佐々木もそうあってほしい。巣立ちのお膳立てをしてくれた多くの人の為にも精進して誰もが認める大物選手になってほしい。今度は団塊農耕派に立志伝的なコラムを書かせてほしい。

(団塊農耕派)

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