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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -693- 世襲

世襲の是非を問われれば、判官びいきの日本人は誰もが「否」と答える。公平でないからだ。


自分の息子は社会の荒波にもまれているのに、政治家や社長のバカ息子は汗もかかずに親の威光の下でぬくぬくと生きている。そして「飛び級」で出世していく。議員バッジも社長の椅子も降って来る。前相撲や係長といった下積み生活も無く、いきなり十両、あるいは部長クラスからスタートできる。相撲だって親方の息子が即出世することは無いが、政治や一族経営の世界には『親の七光り号』という駕籠があって、息子たちはその駕籠に乗って出世街道を駆け抜けることが出来る。それだけでも十分怒りのタネになる。



ただ世襲で成功している所もある。企業の使命や歴史や文化を守り抜くには都合が良く、化粧品会社にはその例が多く見られる。創業者一族のもとで一枚岩になり、忠誠をつくす体制は一見時代遅れに見えるが、化粧品のような業界では優れた管理体制なのかもしれない。自社の遺伝子を放棄し、社風を忘れ、外資のマネをし、自己主義ばかりの社員を集めた会社が荒れていくのをみるにつけ「世襲も捨てたものではないな」と思ってしまう。



世襲が嫌われる理由は二つ。一つは前述の「不公平感」。もう一つは「能力不足」。2世は初代ほどのカリスマ性が無く、軟弱だというのが定説で、周囲の庇護が不可欠。しかし初代をしのぐ人材も珍しくなく、同じ分野で才能を発揮すれば会社は安心だし、異分野に才能を伸ばせば会社は大きく発展する。団塊農耕派の周りにそんな人はたしかに居た。



「お父さんと同じ会社に入って恥ずかしくありませんか」そんな失礼な問いかけを役員に昇格したばかりの上司にしたことがある。その人のお父様もこの会社の役員だった。しかし彼は凛として答える。「父は父、私とは別人格、入った会社がたまたま父のいた会社だっただけのこと」その後、長いお付き合いをさせていただいたが、彼の仕事のあとには必ず何かしらの新しい道が開け、後輩への道しるべとなった。化粧品開発という分野での実績はまさに『中興の祖』にふさわしく、2世の持つ脆弱性など微塵も感じさせなかった。



衆議員議員を11期も務めた人の息子と高校の同級生だったが、彼は世襲の道を選ばなかった。「私には向いていない。医者になったほうが人のために尽くせる」といって3浪して信州の大学に進み、眼科医になった。いまこの選挙区は裏金問題で名を馳せた松下政治塾出身の代議士に乗っ取られている。世襲でないことを自慢しているが、軽薄感は否めない。



不公平のきわみは官僚の世界にもある。キャリアと称する人たちの育成方法が世の中の常識と大きく外れている。東大を卒業して国家試験に受かり役人になると、それだけで飛び級での出世が約束されている。帝王学の勉強だと称し、30歳くらいで地方の税務署長となるが、本当の帝王学とはこんなものではないし、そもそも帝王学など不要だと思う。庶民の中に入り、ともに汗をかくポストで人格を磨くべきだと思う。


都内を走る電車の中で、東大合格率を誇る高校の生徒が我先に座席を奪い合う光景は、高校時代一度も電車で座ったことの無い団塊農耕派には異様に映る。利他主義を身につけていないこの世代が国を動かす時代が来るまえに、オサラバしたいものだと思う。

(団塊農耕派)

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