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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -691- ダイヤモンドカットの頬紅

新製品は今も昔も本社が提案して研究所がそれを実現するというステップを踏む。


団塊農耕派が研究員だった頃、提案部門には化粧品大好きの女性が沢山いた。彼女らの提案はいつもユニークだった。昨今の開発部員のようによそ様の商品からアイデアをもらうような人はいなかった。研究員もそれに必死に応えた。「できない」とは言わなかった。ノーと言っておけば出来なかった時の保険になるが、そんなコトナカレ研究員はいなかった。



団塊農耕派にとって忘れられない女性がいる。とんでもない頬紅を提案してきた女性だ。彼女は言った。「おてもやんの頬紅と真逆のもの」「一度や二度の塗布では色がつかず、数回重ねてやっとうっすらと色がでるもの。それも肌からにじみ出るような健康色」「中皿充填ではなく、ダイヤモンドカットの立体成型」


戦いが始まった。従来の頬紅の製剤技術が何の役にも立たなかった。試作品はことごとく却下され、だんだん彼女が鬼に見えてきた。彼女の辞書に「妥協」という言葉がなかった。それでも少しずつ鬼も笑みを浮かべるようになった。超薄付きの中味にはメドがたった。難関は立体成型、工場に相談してもノーアイデア、発売予定月を考えればそろそろギブアップ宣言もやむなしと思い始めた。


しかし神風が吹く。量産工程を諦め、手作業やむなしと割り切り、北関東の食品工場を見学に行ったときだ。ヒントは餃子の作り方だった。この手つきで水で粘土状にした中味をダイヤモンドカットにした型にはめ込み、あとで乾かして型から外す…。


早速、渋る工場の説得に入る。人海戦術は時代遅れだし、生産の効率も悪い。当時の工場の最も嫌うものだった。しかしどこにもない頬紅を作ってみたい同志は工場にも居て、熱く工場長を説得してくれた。工場実験はその数日後の休日に関係者だけでひそかに行われた。



異様な風景だった。オジーブと称する型(かた)に指で中味を押し込む数人の女性。みな笑っている。戸惑っている。でもそれを加熱乾燥し、型から外したとき、彼女らの顔が変わった。「こんなきれいな頬紅見たことない」。実験は成功した。100点満点が出来た。


彼女の喜びも尋常ではなかった。しかし翌日沈んだ声で彼女から電話が入る。社内の公式評価部門が「こんな薄い仕上がりの頬紅は発売すべきでない」と言い、その意見を受けた上司からも「もう少しつきを良くして発売しなさい」と言われたと言う。


常識的な頬紅しか評価しない人たちの意見など無視すればいいと彼女に言ったが、会社の決済制度の仕組み上、そんな意見が通るわけがなく、団塊農耕派は「今回の実験品をつきの悪さの下限見本とし、本生産では極力つきを良くします」とデマカセの弁明をし、彼女のピンチを救った。本生産でそんな努力をしなかったことは言うまでもない。



評価部門の評価は低かったが商品はよく売れた。彼女の設計は間違っていなかった。でもまもなく彼女は会社を辞めた。S社と言う小さなオジーブに収まりきれなかった。そして幾星霜、突然彼女の訃報が入った。充実した商品開発を共有経験させてもらったお礼を言いたかったが、それも出来なくなった。本編は彼女を忘れないために書いた。

(団塊農耕派)

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