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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -688- 早期退職

終身雇用は過去の遺物だし、これからは生涯を1社だけで終える人も少なくなるのだからそれほど悲観的になることもないのだが、「早期退職」という言葉にはどうしてもネガティブな印象が付きまとう。



事実、これまでこの伝家の宝刀は会社が不景気になると最後の手段として抜かれてきた。有能な人に去られる危険もある諸刃の剣なのに。


新しいキャリアを開拓する機会だと美辞麗句を弄されても、社員は退社勧告以外の何物でもないと受け止める。日本における早期退職とは〝お払い箱〟を別の言葉に置き代えただけのものなので、深刻さと寂しさがいつも付きまとう。しかしそんなことにも目をつぶり背に腹を変えられない会社は強行する。その原資は経営者たちが責任を取って自己財産を処分しても用立てる筋合いのものだが、大企業にはそんな心ある経営者は見当たらない。


膨らみすぎた人件費を減らしたい、でも有能な社員は残しておきたい、そうでない社員に出て行ってほしい、でも労組はそれを許さないし、世間の悪評も怖い、だから公平を装い、社員全員を対象にする。せいぜい高齢者という括りを設けるくらいだ。



しかしこのやりかたで多くの企業は失敗している。応じるのはよそでも通用する有能な社員で、それまでもパラサイトで暮してきた無気力社員は絶対に応じない。給与が下がってもぬるま湯の快適さは格別なのだ。


たった一度の入社試験に受かって得た特典は死ぬまで放すものかと死に物狂いだ。だから応募式の早期退職を実施すれば、かえって人材の不良率は上昇し、会社は活力を失い、基本動作すらできなくなっていく。製品事故と早期退職制度は無縁ではない。そんなことが分かっていながらもやる、それがこの制度の宿命、切ない話だ。



早期退職を実効のあるものにしたければ指名解雇しかない。これまでの日本の良好な労使慣行ではありえない蛮行だが、ジョブ型採用が目立ち始めた今なら許されるかもしれない。雇用の確保は大切だが、働かない高所得者を厚遇し続けることにも問題があると考えるのは不自然ではない。企業側にもっと解雇の自由を与える時期は、日本でも早晩やってくる。


いずれ早期退職と言う言葉は無くなり、いつでも自由に退社し、新たな職場を求めるようになるだろう。そこには割り増し退職金のようなエサもなく、解雇されても自己責任だと言われてしまうだろう。



パラサイトが分不相応に生きていける時代はもう戻ってこないと思った方がいい。ハカリに掛けたとき別の会社のほうが自分を活かせる、あるいは幸せになれると判断すればさっさと出ていけばいい。そのためには日頃から自分の可能性を高めておくことが何より大切になる。パラサイトを享受しているときではないのだ。


最近行われた大手化粧品会社の早期退職者募集のやり方はきわめて前向きで、志を同じくする者だけが残って再建を図ろうとするものだ。そこに団塊農耕派の懸念する〝寂しさ〟は存在しないかもしれない。


しかし会社は優秀で熱い人間だけで成り立つものではない。珠玉混合とはよく言ったもので、目立たず一見能力が無いとみられる人材が実は会社にとって欠かせない人材だったりする。指名解雇に臨んでもトップに個人を見る目と全体最適の判断力が無ければ会社はますます荒れてしまうだけだ。

(団塊農耕派)

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