オリンピックがだんだん面白くなくなってきている。
つまらない種目が増えすぎたからだ。偏屈な団塊農耕派は本気でそう思っている。
大好きな野球が外され、Eスポーツとかブレーキングとか団塊の世代にはなじみのない種目が入り込んでいる現状に戸惑っている。
ただ競技種目の粗製乱造だけがオリンピックを劣化させているわけではない。伝統のあるスポーツでも時代に迎合してやたらルールを変え、その楽しさや崇高さを失っている。
柔道がその最たる例だ。日本の伝統的な格闘技は完膚なきまでに汚されている。ポイント制と言う一見公正な、しかし曖昧なルールに、加納治五郎も姿三四郎も、ひょっとしたらヘーシンクまでもが面食らっているだろう。
柔道とは相手を投げ飛ばすだけの単純な格闘技で、その過程を内申書のようにちまちまと評価するスポーツでは無いのだが、パリ五輪の柔道は減点法のつまらない競技に成り下がっていた。攻められ続けられても最後に大技で相手を投げ倒す、それが柔道の醍醐味なのだが、今のルールではそこに行く前に意欲不足という教育的反則点を取られ負けてしまう。優勝したフランスチームの勝利の秘訣は反則を誘う技術と言うのだから情けない。もはや柔道の本質を失っている。
柔道の例を見るまでもなく、堕落の元凶は歴史と伝統を疎んじ新しい要素を取り入れたがる指導者側にある。高校野球では9回制を7回制に変えて、また投手の投球数に制限を設けて球児を熱射病から守るというが、根性主義から抜けきれない団塊世代には過保護に映る。21世紀推薦枠は負けても甲子園に出られる特例だが、純粋に野球に打ち込んできた球児には裏口入学のチケットでしかなく、そんなルートで選ばれても嬉しくない。
伝統的なスポーツでもルールが細かくなったり、らしからぬプレーが多くなるとファンは去って行く。イチローは日本野球の神髄を見せてくれたが、内野安打で打率を稼いでも本場のファンは喜んでくれなかった。一方、力感あふれる大谷には万雷の拍手が待っている。そう野球はパワフルであることが望まれる。
ちなみにアメリカのオールスターゲームのファン投票の対象は野手だけで、投手は監督が推薦する仕組みになっている。要するに野球とは打って走る競技で、打者を打ち取って喜ぶスポーツではない。
バスケットボールを見ていて気になることがある。日本チームは強くなっているようだが、スリーポイントシュートで得点するケースが多く、それが日本のお家芸となっている。しかし団塊農耕派にはそれが飛び道具のように見え、バスケットボールの本質を外しているのでないかと思ってしまう。バスケット素人の的外れな感想かもしれないが。
陸上競技のリレーにおけるバトンタッチも同じ。走力よりも別のテクニックを磨き、勝利にこだわる姿勢には共感できない。体力に劣る日本人が勝つための必然的な戦法だと言われても、道具の良さでうまくなるゴルファーみたいなもので、本当の強さとは言えない。
日本ラグビーがあえて日本流の戦法を編み出さず、本来の体力勝負を挑んで強くなったように、愚直な強化方法を貫くのがそのスポーツで頂点を目指すための王道戦術だと思う。
今回は多くのスポーツファンを敵に回しそうなコラムを書いてしまった。
(団塊農耕派)
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