時代の流れ、文明の発展は善悪や好き嫌いを逆転させることがある。
昭和の常識や良識が令和では非常識、不心得になることもある。もちろんその逆もある。刺青は特定の人が彫るものだと思っていたが、最近団塊農耕派が憎からず思っているお嬢さんのふくらはぎにそれを発見し、百年の恋は冷めてしまった。
飢餓の時代は栄養失調が怖かったが、飽食の時代は糖尿病のほうが怖い。
ヘルスメータはもともと戦後の復興期にやせ過ぎをチェックする目的で作られたが、いまは太りすぎの確認用ツールとなっている。腋毛の生えない男の子も威信回復し、偏平足も気にしない時代になった。
男性歌手に「低音の魅力」は武器だったが、今では昭和の異音として葬られている。女々しい男は肩身が狭かったが、今はそれを隠すこともなく、芸能界にはこの種の女性(?)がわんさといる。地震・雷・火事・親父と恐れられた父親は、尊厳どころか身の置き場の無いくらい存在感が薄い。高校時代、団塊農耕派が捕手に追いやられたのは肥満・近眼・鈍足の3拍子がそろっていたからだが、今の捕手はすらっとして格好いい。
「同じことは長続きしない。どんどん形を変えていく」ことを平家物語では「諸行無常」と言う言葉で表しているが、今の時代はその変化のエンジンとなるのは科学技術の進歩で、その中でもデジタル技術の進歩は人間の持つ倫理観、社会性を大胆に変化させている。
そんな中、新貨幣が発行された。日本にもキャッシュレス時代が到来しようとしているのに何と無駄なことを!と嘆く人は多い。とりわけ券売機などの改修に出費がかさむ業者は恨めしく思っているようだ。そもそも券売機を導入した飲食店の売り上げは落ちていると言う。人件費が削減され、収入が増えるはずだったが、そうはいかなかったようだ。
理由は簡単だ。券売機で注文を済ませてしまえば、券をそっと出すだけで店主との会話は無い。追加注文したくても再び券売機に行くのは億劫。店も奨めにくい。客はブロイラーのニワトリみたいに黙々と食べて出ていく。店から活気が消え、食事も楽しくない。当然売り上げは落ちる。そう券売機はできれば取っ払ってしまいたい邪魔者になっていた。
効率化のつもりで券売機を導入したが、昔ながらの良好なコミュニケーションの輪に入れず、シッポを巻いて去っていく…、そんな光景が渋沢さんの紙幣になってから随所に見られるかもしれない。諸行無常とは一方通行ではなく、元に戻るケースも含む。
化粧品店にデジタル化の波が押し寄せてきている。黒船の様に見えるだろう。「商品の説明も販売に至る動線も機械が上手にやってくれる。美容部員も従業員も少なくて済む。売り上げは増えるかも」とほくそ笑むが、券売機の例を見るまでもなく全て期待薄だと思う。
化粧品店では会話が不可欠、買う商品は店で決めてもらう、それが商売の鉄則のはず。商品の紙情報だけで予約を取り、数を稼ぐ売り方は、おいしいけれど正攻法ではない。インバウンドに踊らされていた時代はこの種の〝濡れ手で粟のマーケティング〟を時代の贈り物だと思い、喜んでいたが、人恋しい時代になり、専門店が町のホットステーションとして再び輝きを増すには、手間暇のかかる昭和の常識に戻ることが必要だ。
(団塊農耕派)
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