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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -672- コンプライアンスが煩わしい

真夜中の田舎道、誰も居ない。もちろんクルマなど来ない。それでも信号は赤。そんな時でも信号を守る必要があるだろうか。団塊農耕派の答えはノーだが、批判は免れない。


コンプライアンスという言葉が流行りだして、国も企業もそれを遵守することが正義で、いささかの逸脱も許されないと思っている。そして根掘り葉掘り不具合を見つけ出し、会社によっては監査部署まで作って微悪を摘んでいる。その判断基準は〝よそからどう見られるか〟だけで、生産性は二の次のようだ。


たとえば「美白」。これまでさんざんこの言葉で儲けさせてもらったのに、今頃になって人種差別の言葉かもしれないと思いなおし、クレヨンから「はだ色」を外したときのように大手化粧品会社はそっと代替語を探している。


毒があっても、誰も傷つかないのならそのままにしておけばいい。

「障害者」を「障碍者」にして喜んだ人はいただろうか。また「ちび」「デブ」「ハゲ」のように親しまれてきた稀有の日本語を葬ってしまってよいものだろうか。落語には多くの差別用語が出てくるが、微毒を気にすれば面白くないものになってしまう。大げさだが、コンプライアンス順守の行き過ぎは日本文化の荒廃にもつながると思ったほうがいい。


ちなみに団塊農耕派はアメリカに住んでいたとき、「ショート&ファット」と揶揄されていた。「ちびでぶ」という意味だが、それに眉をひそめる人は居なかったし、団塊農耕派もイヤではなかった。ラオスでは「ノイ」さんや「ニョド」さんがたくさんいる。これは「ちび」「のっぽ」の意味で、本名は別にあるのに、親までがこの名前で呼んでいる。誰も傷ついていない。


さて残業時間を巡るコンプライアンス論議が盛んに行われ、法制化もされているが、ここでもキレイゴトが先行している。ドライバーや教師の健康を守るために労働時間を規制すると言うが、これは一昔前の「こどものゆとり授業」に似て、ただ怠け者に塩を送るだけのことのように思える。労働時間の短縮は最後の切り札で、その前に仕事の内容や方法を見直さなくてはならないのに、その動きをしないまま切り札を切ってしまった。


教師のやるべきことは被害者意識を訴えるのではなく、提出書類を簡潔にしたり、不要な出張や研修を止めたり、ペアレントモンスターを無視したりして生徒との時間を創出することなのに、そういう努力をしている学校はほとんど無い。一クラス30名以内でないと充実した教育は出来ないと言うが、団塊農耕派の小中学校時代は一クラスに60名もいたが、先生は生徒全員の気質や能力だけでなく家族構成まで熟知して面倒を見てくれた。当時の先生に有って、今の先生に無いものは何なのか、真剣に考えて欲しいものだ。


2024年問題で救われるはずのタクシーやトラックのドライバーの中にも余計なお世話だと思っている人は少なくない。健康なのに、もっと稼ぎたいのに、そしてそもそも需要もあるのに…、国のキレイゴト政策に愚痴は止まらない。


また改革を伴わない安易な労働時間の短縮が仕事の質を低下させることは自明で、子どもの学力や社会生活に及ぼす影響は甚大だと思わざるを得ない。そろそろ誰かが「コンプライアンスとは勤勉の反対語」だと暴論を吐いてもらえないものだろうか。

(団塊農耕派)

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