「不摂生した愚か者を救うサプリなどつくりたくない」と宣言し、赴任してまもなく団塊農耕派は会社の方針に背いてその開発を止め、食品研究の軸足を「食育」に移した。
また「食」を研究する研究員が農業を経験したことがないのも困りものなので、研究所の駐車場のアスファルトを剥がして、田んぼを作り、稲作を始めた。ついでにテニスコートのフェンスに沿って10種類の枝豆を、実験動物を祭った忠霊塔の裏には四国の化粧品専門店からいただいた鳴門金時などの芋を植え、小学生の朝顔の観察日誌なみに、その生育を観察した。
極め付きは実験室でのトマトの水耕栽培で、窓際にたわわに実ったトマトのせいで実験室は真っ暗になった。まさか化粧品会社でそんな経験をしようとは思わなかった研究員たちだったが、収穫の喜びを味わううちに、自分たちの扱う健康食品はどうあらねばならないか、を真剣に考えるようになった。後年、青森の奥地に農場をつくり、植物原料の自社開発を始めた化粧品会社があるが、それより10年以上も前に団塊農耕派たちは横浜の地で同じようなことをやっていたことになる。
両社の大きな違いは青森のほうが会社の方針として志と目的を持って始めたのに対し、横浜は会社のトップたちの反対を押し切って、大した目的もなしに、楽しみ半分で始めたことだった。だから会社からは何も期待されなかった。駐車場への復元を迫られる日々が続いた。
一方で研究員たちは「農」を楽しく受け入れてくれた。草むしりや収穫には家族も参加した。また研究所では当たり前の研究目的はどうでもよかった。日焼けの程度で評価を決めるとまでホラを吹いてしまった。血迷った団塊農耕派が部下をそそのかして始めた邪道な試み、おしゃれな化粧品会社の歴史にはそんな風に刻まれるはずだった。
ところが縛りのないことは思わぬ結果をつれてきた。セレンディティピー(偶然の発見)を地で行くようなことが起きた。獲れた古代米(奈良の明日米)にはコエンザイムQ10が、サツマイモ(なると金時)にはヤラピンという整腸剤になる物質が、ダダ茶豆から四角豆という抗しわ剤の原料が見つかり、その後の食品や化粧品研究の素材になったのである。
目的からテーマを設定し、期間と分担を決めて進めるのが企業の研究所の王道だが、特定の分野で出遅れた会社が模倣を試みても二番煎じになるだけで、とりわけ技術蓄積の無いサプリメントの分野で先行他社を追い越せるわけがない。だからサプリの開発は止め、化粧品会社ができる食品研究のあり方を模索してみたかった。
1,2年はその試行錯誤にあててもいいと考えていたが、有能な研究員は意外にも早く研究のベクトルを見つけてくれた。それは団塊農耕派が思っていた食育につながるもので、食品研究所が一枚岩になる原動力にもなった。やはり研究とは楽しくなければ成果に結びつかないし、トップダウンのテーマではやる気が削がれる。そんなことを思い知らされた。
それから20年強、いま小林製薬の紅麹が大きな問題を引き起こしている。おそらく機能性食品制度の見直しに問題は波及すると思われるが、その前にサプリなどに頼らない健康維持の仕方を食育の視点から考え直すことが求められていると思う。
(団塊農耕派)
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