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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -667- 知らぬが仏

「ボクは風呂もトイレも無い家で生まれ育った」と俳優のYさんは回顧するが、ちっとも悲しくなかったとも言う。「だって友だちの家に遊びに行くと、トイレが臭くて、こんなところに住めないと思ったんだ」と言い、「だから家の中にトイレのある家は貧しい家だとずっと思っていた」と笑う。


団塊農耕派が幼稚園に行かなかったのは、田舎にそんなものが無かったからだが、仮にあったとしても辞退したと思う。「だって幼稚園とは『稚』の字が示すとおり、就学するにはややオツムのたりない子の行くところ」だと思っていたから。そしてそれを裏付けるかのように、小学校の同級生で一番成績の悪かった子が、唯一幼稚園に通った子だったから。


世の中は勘違いだらけ。赤面してしまうこともいっぱいある。でも「知らぬが仏」で済めばそのほうが良いことだってある。


昨今の健康志向は〝知らなくていいことまで知りたがる人〟が主役だ。人間ドッグが流行り、病院は未病の患者で溢れている。そして「5%の確率で発症する」と脅かされればついつい手術台に上ってしまう。


知らなければ病巣を抱えたまま天寿を全うしたかもしれないのに、検査やストレスで寿命を縮めている。本末転倒と言わざるを得ない。


団塊農耕派が初恋の人と会えなくなって半世紀以上経つが、会いたい気持ちが年々募っている。同窓会名簿に住所も電話番号も載っているので、その気になれば会えないことはない。


でも17歳のキミに会えるわけではない。記憶の中にとどめておいた方が幸せだと自分に言い聞かせ、意気地の無さを正当化している。伝説の美貌の闘士、重信房子が捕まって日本に送還された時、あまりに俗っぽくなったその風貌に団塊農耕派の抱き続けていたイメージは無残に砕け散ったが、同じような事態になるのは必至で、会うことはとても危険なのだ。暦を戻すことが出来ない以上、青春時代を美化して、終わりにするのが賢い選択だと思う。ましてや「初恋の人は貴方ではなかった」と言われれば、傷は回復不可能のものとなる。知らぬが仏が幸せなのである。


県立高校の入試に失敗した団塊農耕派に、中学の教師はなぜか合格点との点差を教えてくれなかった。だから滑り止めで入った私立高校に悔しさや未練を持ち込むことは無かった。同じ境遇の同級生のほとんどがその点差の小ささを自慢しあうという、惨めで不思議な15の春だったが、団塊農耕派がその仲間に加わることはなかった。


そのせいか手前味噌だが、校風にも早くなじめ、成績はだんだん良くなって行き、楽しい高校生活を送ることが出来た。後年、その点差が100点(750点満点で)近くあったことを当時の教師から聞いて驚いたが、それを知っていたら点差一桁の同級生に位負けし、いじけた高校生活を送っていたかもしれない。伝え忘れた中学の先生には感謝しかない。


化粧品の開発も同じ。トレンドや他社の動向など知らないほうがいい。知ったら似たようなものしか出来ない。自分の感性の赴くままに作りたいものを必死になって作ればいい。お客のニーズなど魅力あるものが出来れば、おのずから付いてくるものだ。

(団塊農耕派)

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