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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -661- 代役(1)

 引っ込み思案で、やや吃音気味、間違うと必要以上に焦る…、そんな団塊農耕派に小学校の学芸会で重い役が回ってくるはずがなかった。1年生のときの『金太郎』のキツネ役がそれでもセリフがあるだけ一番マシな役で、それ以降は『待ちぼうけ』の猟師の腰掛けになる木のボッカ(切り株)だったり、『よだかの星』の意地悪な雲だったり、いまなら父兄が怒り出すような役ばかりだった。それでも主役願望は起こらなかった。学芸会とは運動会で勝てない体の弱い奴のためにあるものだと見下していた。だからセリフをいっぱい覚えなくてはいけない主役を本気で可哀想そうだと思っていた。


 そして団塊農耕派は他人事ながらいつもはらはらしていた。もし主役が風邪をひいて、当日休んだらどうなるのか。もし先生が代役に(絶対にそんなことは無いと思いつつも)団塊農耕派を指名したらどうやって断ろうか。お節介な妄想をして勝手に怯えていた。


 しかし団塊農耕派の知らない世界ではこの悩ましい問題は解決されていた。ミュージカルでは、ピーターパンのように主役を2人作り、交互に公演するが、この場合は代役ではなく、2人とも主役なので感動には値しない。ところが歌舞伎や落語の世界では次元が違う。団塊農耕派の幼い頃の心配ごとなど全くの杞憂なのである。


 不祥事のために出られなくなった猿之助の代役を若手の役者があくる日には立派にこなして話題になったが、古典芸能とはそう言うものらしい。そこに伝統的な人材育成のノウハウがあるわけで、他の業界は爪の垢を煎じて飲んだほうがいい。後任を育てず、いつまでも監督の座にしがみついていた某老舗球団の前監督や、自分しか信用できない大手企業のワンマン社長など、恥じ入ってもらいたい。あなたの後姿に重みが無いのだから。


 ひとつの演目に猿之助は猿之助なりの完成度を目ざし、若手はそれを手本にしながらも自分なりの完成度をいつも考えている…、決して物まねでないから、ファンは感動するわけで、国も企業も後任の育成とはそういうものだと学習した方がいい。自分の意のままに動く後任を作りたいと思うのなら、トップの資質は無いも同然だ。


 歌舞伎以外でも代役が大活躍した話はいくらでもある。でもそれらはいずれも偶然ではなく、代役は主役に匹敵する力量を身に付けていた。かつて作新学院は八木沢と言う好投手を擁して春のセンバツで優勝し、夏も甲子園に出場し連覇を狙うが、試合の直前八木沢は赤痢で倒れる。エース不在で臨んだ本番、誰もが惨敗を予想するが、代役として登場した加藤(その後プロに入るが、20歳で他界)がまさかの好投、そして優勝。この時のことを団塊農耕派は当時の野球日記にこう書いている。「八木沢の球なら僕でも打てそうだが、加藤の球は打てそうにない。どうして加藤が補欠だったのだろう」


 いくつかの代役成功物語があるが、共通するのは代役が主役より劣っていないこと、そして主役を蹴落とすことより自分磨きに励んでいたことである。判官びいきの日本人はその愚直な努力が実った時、必ず熱い拍手を送る。出番の見通しが無いと嘆くことなかれ、舞台は突然やってくる。でも待っているとやってこない。皮肉なものだ。

(団塊農耕派)

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