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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -660- 雪の車中で

 外は大雪。名古屋を過ぎたころから東海道新幹線は徐行を始めている。新大阪着が1時間くらい遅れると言う放送が流れたが、団塊農耕派はそれほど苦痛ではない。20年ほど前、北米ノースダコタ州ファーゴで味わった七重苦と比べれば屁みたいなものだ。


 そのまた20年前、団塊農耕派はこの町の州立大学にいた。夏と冬の温度差が70度もあり、自然に逆らっては生きていけない所だったが、ノルウエィの移民の作った町はきれいで、隣人も優しい人が多かった。第2の故郷のような気持ちが年々募り、再訪をたくらんだのは会社生活も終盤に差し掛かったころだった。ファーゴへ行く便は極めて少なく、日本で言えば離島便のような扱いだった。ファーゴ到着がなんと夜中の12時、そこからレンタカーを使い、ホテルに1時に着くと言う段取りだった。


 最初の悲劇はオンボロ航空機ならではの故障だった、ボーディングブリッジが付けられても飛行機のドアが開かない。シカゴまで引き返すかもしれないと放送が流れ、乗客はパニックになるが、間もなく外側に溶接の火の粉が見え、ようやく地上の人になれた。


 2つ目の悲劇は雷鳴と土砂降りの雨だった。空港の駐車場は少し離れたところにあり、レンタカー会社の人に傘は借りたが、車にたどりついたときには、下着まで濡れてしまった。


 3つ目の悲劇はその車だった。エンジンのかけ方がわからない。四苦八苦していると、いつになっても駐車場から出ない車に業を煮やしたらしく、レンタカー会社の職員がやってきた。そして笑いながらキーをポケットにしまえと言い、同時にエンジンボタンを押して去って行った。恥ずかしながら団塊農耕派はそれまで「スマートキー」というものを知らなかった。差し込み式キーの車しか乗ったことがなかったのだ。


 飛行場が昔の場所から移転して全く別の所にあったことが4つ目の悲劇を招いた。以前の飛行場ならホテルまでの道筋は夜中でも問題なく行ける自信があったが、到着した飛行場に全く土地勘が無かった。


 5つ目の悲劇は頼りにしたナビが英文字で全く分からず、画面も暗く用をなさなかった。時々見える大きな建物と地図を照らし合わせるために何度も停車するうちに完全に袋小路に陥った。


 そんな中6つ目の悲劇がやってきた。久々の左ハンドルの車の運転がおぼつかなかったらしく、パトロール中の警官に止められたのだ。ノースダコタ州は国際免許はあっても州の免許が無ければ捕まるところなので、一瞬恐怖を感じたが、このお巡りさんは優しい人で、現在地を丁寧に教えてくれた。袋小路から抜け出せたわけだから、これは悲劇ではなく、地獄で仏ということになる。


 最後の悲劇はホテルだった。朝の3時、フロントは閉まり、真っ暗だった。電話をかけても出ないし、車で朝まで過ごすしかなかった。幸い夏だったのですぐに明るくなり、その苦痛な時間はわずかで済んだ。1泊分の宿泊費が浮いたと思えば結果ヨシだった。


 関ケ原付近の雪は凄さを増してきた。怖いくらいだ。でもノースダコタのブリザードはこんなものではなかった。それでもいつかは抜け出せる。待つしかない。

(団塊農耕派)

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