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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -659- 民営化のツケ

 週末に手紙が届かなくなって不便を感じている人は多いが、今度は郵便料金も大幅に値上りするそうだ。〝文(ふみ)の文化〟の衰退を嘆いているのにこの仕打ち、郵便人口はますます減っていくだろう。この負のスパイラルの行き着く先は郵便事業の廃止、もしくは黒猫さんへの禅譲で、いずれ大切な荷物は飛脚に頼む時代が来てしまうかもしれない。


 JRも同じ穴のムジナで、小さな駅から緑の窓口が消え、時間帯によっては駅員の姿も無い。団塊農耕派の最寄の駅、内房線の浜野駅もその一つで、乗降客の増えている駅なのに無人駅になったかのような錯角に陥る。そして収益性の低い路線の廃止には見境無く大ナタを振る。生活の足になっていると地域の住民が必死に存続を嘆願しても、耳を傾けようとしない。郵政も同じだが、組織(会社)を維持していくためには〝金の成らない木は伐採すればいい〟と考えている。それが昨今の有能な経営者の常識のようだ。


 いつからこんなに薄情になったかと言えば、「民営化」と答えるのが正解だと思う。国鉄の赤字を解消するにはそれまでの親方日の丸体質ではダメで、民間の知恵が必要、それも経営責任を明確にするような仕組みが不可欠と考えたからで、それは国民に心地よく受け入れられた。団塊農耕派もその一人だったが、今は反省している。〝国営〟を生産性のない仕組みだと決めつけてしまったが、新しい国営のあり方も模索すべきだったと思っている。


 民営化になって失われたのは〝誰のための事業か〟という根本精神だと思う。国鉄も郵便事業も赤字を垂れ流しはしたが、弱い国民には刃を向けなかった。ところが民営化以降はその精神が崩れる。張り切りすぎた経営者は収益ばかりに拘るようになった。千葉駅を見れば一目瞭然だが、駅は買い物をする場所に変わっている。京都も博多も地方の県庁所在地の駅はみなそうだ。駅ビルのテナント収入に目がくらみ、鉄道の収益など二の次になっている。


 郵政も同じ。東京駅前の中央郵便局はモダンな商業施設に生まれ変わり、地方の郵便局も他業種とのコラボが進み、集金マシーンと化している。そのうち先祖代々の特定郵便局もその権利が剥奪され、別の業種に変わっていくのではないかと思う。郵便ポストも配達人も要らなくなり、気がつけば郵便局は不動産屋の一形態になるかもしれない。


 ところで政府は原資もないのに弱者にお金を給付しようとしているが、まさに愚の骨頂と言わざるを得ない。やるべきことの順序が違う。鉄道や郵便の不条理な政策で国民が苦しんでいるのだから、その元凶を取り除くことが先で、愚策をそのまま放置し、別次元のバラマキでその代償をするというやり方は筋違いだ。鉄道の赤字路線はそのまま。切手代も据え置き。JRと郵政が赤字になるならそれも良し。その分を国が補填する。それでいいのでは。一過性のお金をもらうよりもこの方が国民のためになるはず。極論すれば、鉄道も郵便も国営のままほうがよかったということになる。


 さて地元千葉では京葉線の快速の全廃とか、久留里線の廃線とか、JRの提案に市民が怒っている。住民不在の姿勢がここでも露骨だ。経営者が頑張れば頑張るほど住民が不幸になる。民営化が教えてくれた教訓は悲しい。

(団塊農耕派)

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