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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -650- 副○○

 団塊農耕派はつい最近まで町会の役員をしていた。役職は会計だった。田舎の老人ばかりの町内会では小遣い帳以上のシステムを操れる人がおらず、三顧の礼を持って迎えられた…、ということになっている。ここで驚いたのは手当の額である。会計は町会長の次に多いのである。副会長がいたが、その手当は会計よりも低かった。いつからそうなったかを長老に聞くと、彼はこう答えた。「副は飾りで、何もしないから」。


 副大臣、副市長、みなそうかもしれない。これらの類の人たちのお粗末ぶりを見せつけられるたびに、ますますその確信を深めてしまう。一見大切な役職に見えるが、実はたいした期待度もなく、空席を埋めてくれればそれで十分のようだ。だから無事でいてくれさえすればその使命は果たせるのだが、ついつい目立ちたくなり、勉強不足も重なり、化けの皮がはがれてしまうような珍事を犯してしまう。せめて副大臣なら、その分野に精通してもらいたいものだが、その努力をする前に解職されてしまう。


 一方で「副」が「正」よりも権力をもつと悲劇が生まれる。麻薬使用の学生の逮捕をめぐる日大の騒動の中にそれが見える。学者風の学長、弁舌鋭い副学長、会見を見た視聴者はだれも正副の逆転を感じたと思う。ひょっとしたら学長の方がお飾りではないかと。


 学長と理事長は別の人が務めるのが大学の一般的な姿のようだが、その連携を保つのは難しそうだ。理事会は経営視点でことを運ぶし、大学は研究の質に重きを置く、その結果昨今の大学はどこも研究費が足りないと嘆く。ところがテレビは理事たちが黒塗りの車で送迎されるところを映している。教授のほとんどは電車通勤であることを思えば、理事のほうにお金がたくさん行っていることは否定のしようがない。しかし日大の場合はやや質を異にする。学問の府のナンバー2である副学長が学長以上の強権を振るってしまったことと作家でもある理事長が優しすぎたことがこの問題の最大の病巣で、一般の大学のバトル状況とはだいぶ違う。それゆえに簡単に片付かない泥沼が横たわっているともいえる。


 「副」に人望と能力があれば、「正」を補足するだけでなく、組織を活性化することもできる。そんな例を団塊農耕派は自ら在籍した化粧品会社の研究所で経験している。とは言ってもそれは団塊農耕派の入社する少し前の話で、団塊農耕派は学者風の研究所長を知らない。化粧品会社の社員らしからぬ風貌で、大酒飲みの副所長は良く知っているが。


 この副所長はそれまでは工場の技術部長で、研究も生産も知り尽くしており、工場が新製品を受け入れるとき、研究所の作った処方を徹底的に吟味し、必要あれば処方変更を迫るような人だったので、就任が決まった時、研究所員は戦々恐々としたという。また研究所長に大阪の国立大学の元教授が就任することになり、研究員の不安は一段と高まったと過去を知る人は言う。しかしこの組み合わせは最高のパフォーマンスを果たした。黙して語らず学術的なことだけに熱くなる所長と、親分肌で化粧品の設計の細かいところまで目を配る副所長は、大げさかもしれないが研究所の黄金時代を築いたように思える。画期的な商品も優秀な人材もこのころ生まれている。団塊農耕派は該当しないが。

(団塊農耕派)

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