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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -646-ストライキの思い出

 池袋西武がストライキをやるというニュースは、このご時勢では新鮮に映るらしく、野次馬がたくさん集まっている。ストライキとは労働争議解決のための伝家の宝刀なのに、この半世紀、労働組合が抜いてこなかったので、そうとうに錆付いていると思われるが、アメリカのファンドに買われ、成金的なカメラ会社の手下になれと言われれば、老舗デパートの誇りと怒りを示すにはこの方法しかなかったのかもしれない。


 国鉄のストライキが年中行事だったころ、団塊農耕派は高校生だった。千葉県には国労以外に悪名高き千葉動労という労組があり、やたら頻繁に電車(正確に言えば、汽車とジーゼル機関車)を止めた。しかしその日は学校が休みになるのでストライキは必ずしも歓迎せざるものではなく、むしろ解除されないように祈ったものだ。ところが何事も先手先手でコトを決めていく高校の校長はストが計画されるとすぐにその日を休みにしてしまい、日曜日を代替登校日にした。ストが解除されてもそのままなので、休日が無くなる生徒には不評だった。半世紀後、このやり方を学んでしまった小心者の団塊農耕派は台風の上陸が予想される時など、早めに日程を変えようとし、関係者に迷惑がられている。


 大学時代のストライキは学園闘争だった。学期末の試験が近づくと、学生たちは決まって「スト権の確立」に動いた。学費値上げ阻止や安保反対、ベトナム戦争反対などご尤もな名目が用意されたが、団塊農耕派の周りは、ストに持ちこんで、テストを中止にし、レポート提出で済ませ、安易に進級したい…、そんな不純な考えの学生だらけだった。そんな周囲に義憤を感じて、体育館に作られたバリケードを壊しに行ったことがあるが、逆に「体制のイヌ」とののしられ、ゲバ棒を振り回されたことがある。しかし幸か不幸か団塊農耕派の在籍した工学部は4年間に一度もストライキを経験したことが無かった。本音を言えば、ストで休学の続く他の大学をうらやましく思ったものだ。


 会社に入って5年目に研究所支部の支部長の役が回ってきた。ノンポリなのに政治に興味のあるような顔をし、本質的には右翼っぽいのに、研究職とはリベラルでなければならないと自分に言い聞かせ、左翼を装った。そして在任中の1年間は、どこかの国の野党の様に会社の提案に対して何でも反対のスタンスで臨み、ストライキも何度かちらつかせた。しかし支部にストライキやむなし論が出てきてもそこまで進めたことはなかった。年間賞与として8か月分をもらい、研究環境もそれなりに満足している組合員がそれ以上のものを望むのはやりすぎだと本気で思った。労組としての闘争心と社員としての節度、この背反するもののバランスを取りながら臨めば、誰でも支部長くらいはできるものだ。


 会社生活の終盤、今度は部門長として労働組合と対峙した時、大きなカルチャーショックを受けたことがある。若い支部長がこう言うのである。「労使で協力して会社を発展させましょう」このとき私の発した言葉は人事担当部署から会社側の人間として好ましくないと言われたが、今でも間違っていないと思っている。「労組は会社のことなど考えなくていい。会社がつぶれても自分や家族が幸せになれるのならその道を選んでいい」

(団塊農耕派)

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