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日本商業新聞

【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -645-処理水とお隣さん⑵

 このコラムの642号で原発事故の処理水を巡って中国と日本が争っていることをシニカルに書いたが、やや一方的な見方をしてしまったようで反省している。立場が変われば、また教育のされ方の違いを考えれば見解の相違は受け入れなければならないのに、その広い心を失ってしまった。老境に入ったのにまだ青臭さが抜けず、恥じ入るしかない。


 ウサギと亀の寓話を巡って、昔ある中国人からこう言われたことがある。「日本では亀を努力家、ウサギを怠け者として決めつけているが、それは陸上競技でのこと、もし水泳で競ったら、全く逆になる。先行した亀が岩場で休憩しているうちに、おぼれながらやってきたウサギが抜いていく…、」なるほどと思った。日本人は何の抵抗も無く、この競争は陸上でやるものと思っているが、この中国人はそうではなかった。その発想の大胆さ、いや柔軟さに驚いたものだ。同時に思い込みや誤解が判断を誤らせ、それが国際紛争や人権問題につながれば、とても怖いことだと思ったりもした。


 今回の処理水の問題でもいろいろな解釈があって当然で、いちばん悪いのは聞く耳を持たない姿勢だ。政治の駆け引きのために導かれた解釈でなければ、それぞれが意見を閉ざすことなく議論すればいい。具体的に言えば、日本やIAEAは科学的根拠に基づいて処理水は安全だと胸を張っているが、「それは単にトリチウムの分析結果だけのことでしょう。それ以外の予期せぬものが入っているかもしれないでしょう」と考える中国人の主張に、「たしかに一理あるね」と会話に持ち込む姿勢も必要だと思う。議論もせず互いにののしりあう姿勢はどちらの国の得にもならないのだが、まだそのステージには行きそうにない。



 団塊農耕派の家には井戸があり、生まれてからずっと飲んできたが、最近京葉コンビナートによる水質汚染が心配されるようになった。そこで市は市内のいくつかの井戸を対象に水質調査を行ったが、想定される化学物質は検出されず、これまで通り飲料水として使っても問題ないとお墨付きを与えた。しかし団塊農耕派の家では飲料として使うのを止めた。その根拠は今回の処理水を巡る中国人の考え方と同じかもしれない。たしかにトリクレンなどの化学物質は検知されなかったものの、ただそれだけのことで、それ以外の挟雑物を分析したわけではなかった。動物実験をしたわけでも、地域の人の健康調査をしたわけでもなかった。飲料として適しているかを正確に判断するには乏しい分析内容と言わざるを得ず、万一を考えたとき、飲まないほうがよいと考えるのは当然だった。


 奄美大島でハブとマングースの話を聞いたことがある。100年前ハブの毒に悩む島民は小学生並みの発想でコブラの毒に強いマングースをタイから連れてきて放逐したが、そのとき「夜行性のハブと昼行性のマングースが出会うはずが無く、「天敵」どころか「共存」してしまう」と心配した人が居たそうだが、この人は勢いに押されて意見を下ろしてしまったと言う。しかし歴史はこの人の言う通りになり、いまやマングースは外来種の厄介者として貴重な奄美の野兎などを絶滅に追い込んでいる。勢いのある意見が圧倒的なときこそ、正反対の意見が必要で、それに耳を傾けなくてはならないという教訓かも。

(団塊農耕派)

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