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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -643- 訃報に接して

 S社の名誉会長F氏が亡くなりました。まさに「中興の祖」で、その偉大な功績は歴然としており、団塊農耕派も衷心より哀悼の意を表します。同時に現役時代、F氏の後姿から多くを学ぶことのできた幸せをありがたく、また誇りに思います。


 多くの新聞はF氏の経営能力、国際的センスを讃えますが、団塊農耕派にとってのF氏は「奥行きの深い人」で、どんな人だったか定義することなどとてもできません。問えば必ず意外だけど役に立つ答えをくれますし、問わなければ教えてくれることもありません。その意外な答えはその後の団塊農耕派の作風を形作った言っても言い過ぎではありません。団塊農耕派だけではありません。多くの商品開発担当者がF氏を崇拝していました。F氏の訃報を知り、団塊農耕派にメールをくれた元部下の女性がいます。原文のまま載せます。「私は2回しか会ったことがありません。でもこのひとに「S社らしい」と言われるためだけに商品を作ってきたし、20代のほぼすべてを注ぎ込んだと思うくらい信奉していました」


 欧米の化粧品メーカーと伍して戦うため、S社は商品やマーケティングに西洋的手法を多く取り入れて成長してきました。ですからそれを率いるF氏もそのフィールドに軸足を置いている人だと思っていました。しかしそうではありませんでした。F氏は豊かな化粧品哲学を持っていました。それは1994年F氏をリーダーとするブランドつくりで知ります。


 団塊農耕派は商品企画の担当で参画し、「原液化粧品」なるものを自信を持って提案しました。薬効を謳う医薬部外品の提案でした。しかしF氏は悲しげに否定し、こうヒントを言い残しました「S社は東洋で生まれた会社、21世紀は心の時代」。団塊農耕派たちは再提案に向けて必死で勉強しました。調査会社などに頼らず、自分で世の中を検証してみました。そしてたどり着いたのが『アユーラ』でした。後年アユーラは売却されてしまいましたが、S社にとって、また団塊農耕派にとってエポックメーキングな商品でした。


 感謝しきれない思い出もあります。S社の晩年「昭和の子どもは青洟をたらしていた」という小説を出版したのですが、出版社は本のオビに〝S社の執行役員が書きおろした〟という一行を入れることに拘りました。おしゃれな会社と泥臭い作者の対照が面白いと言うのです。しかし私小説でもあり、S社に関係の無いことから、団塊農耕派には入れることに抵抗がありました。会社担当部門の判断もノーで、この話は頓挫しかけました。ところがある広報部員がひそかにF氏に本を渡します。そして急転直下、出版社の希望がかないます。


 F氏が後押ししてくれたことは後日知りましたが、その前に団塊農耕派はF氏から一通の手書きの手紙をもらっていました。以下が抜粋したものです。「…すてきなご本をいただきました。…私のようにドライでリアリスティックな人間とちがって、豊かな心の、ひだの多い文章があちこち、心を打たれました。こんな資質をお持ちの方が組織の中心におられることにも安心しました…。」多彩な人材が居るのがS社の良い所とも書いてありました。


 F氏からのこの手紙は間違いなくその後団塊農耕派が「心意気と美学」を書き続ける原動力になっています。神様に褒められて自信を持たない人などいません。

(団塊農耕派)

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