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【日本商業新聞 コラム】心意気と美学 -640- 有料観覧席に思う

 祇園祭40万円、阿波踊り20万円、今年の夏の特別有料観覧席の値段だそうだ。混雑を避けるため、そして費用を捻出するための止むを得ない措置だと言われても、買う気も財力も無い庶民にとっては、その分観る場所が狭くなるのだから嬉しいはずがない。


 花火大会も同じらしい。有料席をたくさん作り、ただ見の客を追いやるやり方は、遠い昔、団塊農耕派の村にやってきた紙芝居屋のオジサンの所業とよく似てる。


 奈良の鹿も遠慮しそうな不味い煎餅を買い、切り抜きのゲームに挑戦した子を紙芝居の良く見えるところに座らせ、そうでない子を敵対視したあのオジサンだ。いま思うにこのおじさんの罪は大きい。子どもの心に差別心を生じさせ、それまで仲良しだった子どもを分断したのだから。後年、このオジサンはなぜか国から勲章をもらったが、尊敬に値する人ではなかった。


 三冠王も取ったことのあるプロ野球の選手が交通渋滞に巻き込まれた時、こう言ったことがある。「税金をたくさん払っている自分と、たいして払っていない人が同じ苦しみを味わうのは平等でない」。いっぺんにこの選手を嫌いになったのは言うまでもない。


 花火の場合、主催者側の気持ちもわからないではない。事故が起きてもおかしくないほどの人混み、協賛金が集まらない金銭事情、解決手段が有料化しかないと言われれば、有効な代案を持たない団塊農耕派は何も言えない。


 一方で会場に足を運ぶ人の気持ちもよくわかる。家に居ても大概のことはできてしまうとコロナの時代に確信しても、祭りや花火くらいはその爽快感や醍醐味をリアルで味わいたいと思っている。


 極論だが花火大会の費用の大半を県や市が持つのであれば市民を優先してほしい。浅草三社祭の神輿は千葉や埼玉のおのぼりさんにはかつがせない。隅田川の花火大会には区民でなければ入れない。旅行社に花火ツアーを組ませない。そう排他的で地元優先の催しにすればいい。長岡の花火はそもそも慰霊のつもりで始めたものらしいが、いまやその趣旨を忘れて花火の先進性と芸術性に酔っている。もとの静かでおごそかな大会に戻せばいい。


 団塊農耕派の住む町には昔からの古びた神社があり、秋祭りと正月の参拝のときだけ賑わう。ところが集まってくるのは近くに出来たニュータウンの住民が中心で、近隣の農地は駐車場代わりに使われて荒れてしまう。それだけでない。準備はすべて氏子の地元民がやるのに演芸大会の景品の米一俵も初詣でふるまう甘酒もみな新住民がさらっていく。


 地元民はホストやホステス代わりで、ただで飲み食いするよそ者にひたすら奉仕する。町会主催の盆踊りも同じで、テント張りの貴賓席に鎮座するのは市会議員と学校の先生と他地区から呼ばれた町会長だけで、地元民は1万円も花代を払いながらも1杯のビールも飲めない。


 誰の為の催しかを考えればおのずから解決の糸口は見えてくる。主催者側は外部からの参加を規制し、規模を大きくしないことを心掛け、参加する側は自分はお邪魔虫ではないかとたえず自問する自制心を持ち、それで儲けようとする業者にはペナルティを与える…。


 そんな劇薬がオーバーツーリズムの時代には必要かもしれない。雑踏の中では価値を失う浅草や嵐山、富士山などの観光地もそろそろよそ者の粛清を考える時かも。

(団塊農耕派)

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