その店は神楽坂にあるが、団塊農耕派が初めて訪店した時には客もまばらで、値段もそれほど高くなく、庶民的な雰囲気の漂う居心地の良い店だった。ところが5年後訪れた時にはこの店は予約も取れないほどの高級店になっていた。団塊農耕派の知らぬ間に何があったのだろう。
3千円で10名の予約が取れた後、1万円で10名の予約が舞い込んできた時、店主はどうするか、この店の発展の秘密は、この事態に対してとった店主の対応で説明できる。
なんと先約にお断りの電話を入れたと言う。それも正直に「高額の別の予約が入ったので」と言ったそうな。さらに悪のりして(世間一般にはこの表現が適切)ホームページに「予約を頂いたあと、もっと高額の予約を頂いた場合、キャンセルさせていただくこともあります」と書いたというから、「お客さまは神様です」「先着順」というそれまでの一般的な常識を大胆にかなぐり捨てるものだった。
銀座のある高級レストランの悩みはランチの時間に数人でやってきて一番安いメニューで長時間滞在するおばちゃん軍団だそうだが、それに対して有効な手はなく、売り上げと評判の低下を招いていると言う。「そろそろお帰りに」「もう一品ご注文を」という禁じ手を使いたい気持ちはよくわかるが、実行する店はない。それが一般的な店なのだ。
ところが神楽坂の店主は店の成長のためにあえて火中の栗を拾う。〝庶民に嫌われることイコール上層客に好かれること〟という短絡的な論理を信じて行動したとしか思えない。どれだけの勝算があったのかわからないが、度胸の要る決断であったに違いない。ひょっとしたら彼は差別化を喜ぶ上層客だけと組むメリットを確信していたのかもしれない。
この店主の対応の賛否を問えば、おそらく日本では圧倒的に批判の声の方が多いと思うが、なぜか化粧品の世界ではそれほどの違和感はない。それどころかブランド論を振りかざすマーケッターは〝当たり前のこと〟として一笑に付すだろう。
高級化粧品を生業とするメーカーの神髄はここにある。共存してきた低額化粧品を廃品にするか売却するかの戦略に打ってでるメーカーは珍しくなく、一方で守りたい高額化粧品については販売店の選別にまで視野に入れ、そのブランドに似つかわしくない店とは縁を切る。徹底した「差別化マーケティング」だが、欧米では当たり前のこと、ブランド価値を守るため、会社の収益を上げるためには可欠なことだと言って正当化するだろう。件のレストランと同じで「高級同志」の集まりにこそ会社の未来があると信じてやまない。
被害者はレストランやメーカーに相手にされなくなった人たちだが、嘆くことは無い。別を探せばいい。この程度の味のレストランなど腐るほどあるし、店主の仏頂面を見なくても済む。化粧品だって本当の価値はブランド名なんかに無い。ブランドの傘をかぶっただけの平凡な商品が氾濫している事実もある。化粧品専門店ならお客の肌と心に合った化粧品をブランド本位でなく商品本位、顧客本位で選んで差し上げられるはず、今こそその力量が試される時と思えばいい。
(団塊農耕派)
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